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生きていてくれるだけで「いい子」だよ

はじまりは愛着から 人を信じ、自分を信じる子どもに
『はじまりは愛着から 人を信じ、自分を信じる子どもに』
佐々木正美 著 福音館書店 900円+税 装釘 森枝雄司

 今年、2017年の6月、児童精神科医の佐々木正美先生が永眠されました。

 わたしは幸運にも、先生が行われていた勉強会に伺ったことがあります。涙ながらに悩みを打ち明けるお母さんたちに対して、先生はじっと聞き、優しく語りかけます。その言葉に、お母さんたちが笑顔を取り戻された様子を、今でも鮮明に覚えています。

 『暮しの手帖』でも、子育てに悩んでいる方々の心が軽くなるように、子どもが成長することの喜びを伝えていただきたいと、「母子の手帖」の連載執筆をお願いしたのは7年前。先生は日本各地へ講演に飛び回る忙しさ。その頃からすでに体調がすぐれなかったにもかかわらず、まるで目の前で語りかけてくれるような原稿をご執筆くださったのでした。

 今回ご紹介するのは、この連載をまとめた本です。先生は「親から愛されている実感」「根拠のない自信」などを子どもに持たせてあげることの大切さを何度も説かれました。それはとってもシンプルだけれど、日々の子育てに追われている親御さんたちが見失いがちなものであるように思います。

 先生に、「ゲームに熱中し過ぎる子について書いていただけますか?」とご相談して、いただいた原稿は、わたしの想像を超える内容でしたが、心の底からなるほど、と思いました。その他にも、「いじめ」「ひきこもり」「思春期」「親の離婚」など、具体的な例を通して、子育てに大切なことを教えていただきました。

 いい親にならなければというプレッシャーを感じている方、また、そういったお母さんやお父さんが身近にいる方にぜひ読んでいただきたい一冊です。(平田)

純粋に信じる気持ちにも違いがある。

星の子
『星の子』 今村夏子 著
朝日新聞出版 1,400円+税 装釘 田中久子

 この作品は家族と宗教を題材に、人が何かを、そして誰かを「信じる」ってどういうことなのか、主人公の成長を通して描かれる物語として読みました。

 主人公のちひろは生まれつき病弱で、娘を助けようと手を尽くす両親は、新興宗教にすがります。やがてちひろは健康に育っていき、両親は、「金星のめぐみ」という「宇宙のエネルギーを宿した」高価な水のご利益だと、ますます信仰にのめり込んで、世間からは異質な人たちとして見られます。

 物事を見る目が変わったり、恋愛をしたりと、成長していくちひろ。その宗教に対しては、態度を留保するようになりますが、両親に対しては、心から大切に思う気持ちを持ち続け、疑うこともありません。ちひろの姉は、世間と同じ目を持つようになり、高校1年生にして家を出て行ってしまいました。親戚は両親からちひろを引き離そうとします。

 物語の後半、ちひろにもその新興宗教への懐疑の念の兆しが見え、両親への気持ちにも変化が表れます。両親と宗教と世間との関係のなかで、疎ましさを感じたのか、例の水を自分に施す両親を邪険にしてしまいます。

 そして、終盤、家族3人で参加した教会の研修旅行の間、別行動になった両親とちひろは、会いたいのになかなか会えません。やっと会えた3人は、同じ流れ星を一緒に見ようとしますが……。

 両親は娘たちのことを愛し続けます。だから、この後訪れるであろう、ちひろとの別れを惜しんだのだと思います。でも、客観的な目を持ち始めたちひろは、不安定に揺れています。大切な人が信じるものだからといって、自分も信じることができるのか。同じものを見ることができないようになったのか。それまで疑いのなかった気持ちに影が差してきたのです。読者は、両親もちひろも純粋にお互いを大切に思う気持ちに心温まりながらも、つかみどころのない不穏な暗雲が立ち込め、気持ちが波立ち、もやもやとしながら考えさせられるのです。(宇津木)

いろんなリクエストに応えるセーターたち

うれしいセーター
『うれしいセーター』 三國万里子 著 ほぼ日ブックス
2,500円+税 装釘 大島依提亜

 ニットデザイナーの三國万里子さんが、12名の著名人たちのリクエストに応えて編んだセーターを紹介する一冊です。

 「可能ならば、まるで着ていないような着心地のセーターがほしい」「どかんと寝転がって干し草がついても気にならない、農夫の仕事着にもなるようなイメージ」「どこかに自分だけが知っている、ちょっとした仕掛けがあるとたのしい」などの個性的なリクエストに真摯に向き合い、楽しみながらセーターの制作に挑む三國さんの姿が伝わってきます。

 出来上がった作品は、三國さん以外の人には生み出せないような、どこにも売っていないものばかり。着る人の満足そうな表情から、着心地の良さがうかがえます。

 わたしは以前から、三國さんの著書に掲載されている、作品紹介のちょっとした文章が大好きだったのですが、本書にはエッセイが8編収められています。そこには、編んだ人にしか知ることができない喜びがあふれていて、わたしもセーターという大作に挑戦したくなりました。すべての作品の編み図も載っています。日に日に涼しくなってきて、毛糸に触れるのがうれしい季節がやってきました。この冬にたくさん着られるよう、いまから編みはじめるのも良いかもしれませんね。(平田)

思い出に残る旅行を探して

こころに残る 家族の旅
『こころに残る 家族の旅』 小川奈緒 著
京阪神エルマガジン社 1,600円+税 装釘 藤田康平(Barber)

 待ちに待った連休! 家族旅行!! 夫婦の仕事や子ども達の習い事などの予定を調整して、家族が一緒に大移動する。家族旅行は本当に一大イベントです。それぞれの準備に費やしたぶん、思い出に残る素敵な旅にしたい。そうみんなが願うのではないでしょうか。

 本書では著者の小川奈緒さんが、夫や子ども、親と、同行する相手により変わりゆく旅の形を、それぞれのエピソードと共に、ありのままに綴った一冊です。
 
 家族が増えればハプニングも増え、決して気軽な旅とは言えなくなってゆきますが、それも良い思い出のひとつとして楽しんでいる様子が、微笑ましい一冊です。

 独り身だった頃の私は、東京から大阪の実家へ帰省する新幹線でさえ、品川駅からふらっと飛び乗るほどの気軽さでしたが、気がつけば昨年末の帰省は、1歳の子どもを連れて、まさに一年最後の大仕事となってしまいました。
 
 子連れで挑んだ初めての海外旅行でも、異国の景色にリラックスしている大人の横で、突然大声で泣き出す息子。まさに本書で小川さんが体験されたことと同じで、「わかる、わかる。そうなりますよねぇ」と、頷きながら頁をめくるのでした。

 色々な場面でグズる子どもに、お子様向けのプランをわざわざ用意しなくても、ほんの少しのアイデアで家族みんなが納得する旅ができたなら、なんとも嬉しい限りです。

 これからは、この本を片手に、わが家ならではの旅の形を探していこうと思っています。(山崎)

大コピペ時代を生きる、みんなの教科書

正しいコピペのすすめ ―模倣、創造、著作権と私たち
『正しいコピペのすすめ ―模倣、創造、著作権と私たち』 宮武久佳 著
岩波ジュニア新書 860円+税

 ピラミッドにモナ・リザ、ビートルズ。みなさん、もちろんご存知ですよね?
 
 でも、実際にエジプトに行ってピラミッドを見たり、ルーブル美術館でモナ・リザを鑑賞したり、ビートルズの生演奏を聴いたという人は、どれくらいいるでしょうか。多くの人は、テレビ映像やインターネット上の写真、音楽CDといった複製、つまり「コピー」によって、そのすばらしさに触れたことと思います。

 本書は、そうした身のまわりにあふれるコピーについて、守られるべき著作権や、それが文化に果たす役割などを説いています。
「著作権」と聞くと、プロの作家やカメラマンが持つもの、と考えてしまいがちです。しかしスマホやパソコンが普及した現代においては、著作権を持つことも、それを侵害することも、いとも簡単なのです。ですから、いまや、みんなが著作権のルールを理解する必要性がでてきたのです。
 
 かくいう私も、恥ずかしながら、著作権について不勉強でした。本書を読みすすめると、驚きの連続。そして、宮武先生のやさしく丁寧な解説がスッと頭に入ってきて、まるで社会科の授業を受けているような気持ちになりました。

 「正しいコピペの作法」を身につけ、ルールを守りながら「模倣」すれば、それがやがて「創造」につながる。大切なのは、じょうずにコピペを用いながら、自分自身を成長させることのようです。
本書は、大コピペ時代を生きる私たちにとって、まさに教科書のような一冊。SNSを楽しんでいる方をはじめ、レポートを書く学生さん、会社で新聞をコピーしているそこのアナタも、ぜひご覧になることをおすすめします。(圓田)

楽しみも、悲しみも。人生は明日へと続いていく。

今日の人生
『今日の人生』 益田ミリ 著
ミシマ社 1,500円+税 装釘 大島依提亜

 著者の益田ミリさんは、30代女性の等身大の日常と心の持ちようを描いた「すーちゃん」シリーズなどで人気の漫画家。作品は「漫画」というひと言では括りがたく、登場人物の率直で鋭い視点や言葉に、同世代の女性をはじめ多くの読者から共感を呼ぶエッセイ的な要素が色濃いものが多いのではないでしょうか。

 この本で描かれているのも、日々の生活のなかの小さな出来事。それぞれのシーンにおける、ほんの小さな気持ちの揺れ動き。「機微」という言葉が思い浮かびます。辞書によると「表面だけでは知ることのできない、微妙なおもむきや事情。『人情の機微に触れる』」。そうした見過ごされやすい小さなこと、ふだん言葉にしかねて人と共有する機会のないこと。でも、益田さんは見事にそれらを掬い上げ、ゆるやかなタッチの絵と言葉で提示します。ふとむなしさを感じた日は、素直に、今日はむなしさを味わう日と考えたり、小さな子とおばあさんが歩いているのをみてほのぼのとしながら、無意識に口ずさんだのは、独り身の自分を歌った明るいメロディだったり。

 それらは、毎日うっすらと降り積もっていくような些事かもしれません。でも、そうして積もり重なったものが自分になっていくのではないでしょうか。益田ミリさんの作品には、大きなドラマはあまり起こりません。重厚で深いテーマであっても、日常のなかにある小さな欠けらを手掛かりに語られます。機微に、敏感に着目して描き出されるのです。だから、読むとハッとさせられ、そしてじんわりと心に響いてきます。

 「今日の人生」。何も起こらなかったような日の出来事、自分だけの小さな幸せ、ちょっと悔やまれる失敗、誰かの行いに対して怒ったこと。「人生」って、大部分はそんな小さな「今日」の積み重ねですよね。私たちも同じように、そんな小さなことを毎日経験しているけれど、無意識に通り過ぎたり、すぐに忘れてしまったり。

 今作では、大切な人とのお別れという大きな出来事も描かれます。でも、それはあくまで日常のなかで、楽しいことや怒ったことの続きとして静かに語られているのです。誰もがいつか経験する、この喪失感を、自分のなかでどう対処するのか。繰り返し湧き上がる悲しみと、どう付き合っていくのか。そんな毎日のなかでも、小さな幸せを感じながら、この本は終わります。

 そしてこの本は、内容はもとより、製本の工夫もおもしろい。本自体を楽しみながら読める仕掛けがいくつもあります。(宇津木)

すべての新米パパに贈りたい

ヨチヨチ父――とまどう日々――
『ヨチヨチ父――とまどう日々――』 ヨシタケシンスケ 著
赤ちゃんとママ社 900円+税 装釘 関 善之

 中川李枝子さんの『子どもはみんな問題児。』や川上未映子さんの『きみは赤ちゃん』など、子育て中のすべてのママに薦めたい本は何冊かあるけれど、パパに薦めたいと思った初めての本です。
『ヨチヨチ父(ちち)』。タイトルから笑ってしまう。とくに口頭でひとに伝えると、「え?」と100%聞き返されるので、「えっと……、ヨチヨチする、お父さんの“チチ”」とジェスチャー込みで説明しないと伝わらない。

 本書には、2児の父である絵本作家のヨシタケシンスケさんが、育児がひと段落ついた今、「パパ目線の初めての育児」というテーマで描いた “トホホな出来事”が、55編掲載されています。

 わが家にももうすぐ3歳になる怪獣君がいるのですが、その数々のトホホに笑い、ああ、そうよね、うんうん、そっかあ、と共感し、いろいろ思い出してちょっとホロリとしてしまいました。わが夫のことも、少しわかったような気がしたのです。さっそく夫(育児ものはほとんど読まない)にも渡してみると、珍しく声を上げて笑いながら、あっという間に読破して、なんと読み返して、また笑っていました。たいそう納得したようです(具体例をあげたいところなのですが、ヨシタケさんのおなじみのイラスト込みで読んでいただいたほうが絶対に面白いので、敢えてあげません)。
 
 「ぜんぜん共感できないなぁ」なんてパパがいたら、よっぽどよくできたパパでしょうから自信を深めてもらい、「そのとおり!」というパパにとっては、少し気が楽になるのではと思います。同じくママだって、「わたしにあてはまる」と感じるかもしれないし、もしくは、夫に対して少しやさしい気持ちになれるかもしれません。たくさんの育児中のひとたちが笑顔になることを願って、本書をお薦めします。(小林)

ふりそそぐ言葉の粒子たち

ひかり埃のきみ
『ひかり埃のきみ 美術と回文』
福田尚代 著 平凡社 2,800円+税 装釘 細野綾子

 扉の薄紙にのった文字列が、次の頁に透けて見える目次と絶妙に交差して美しい。心静かな日、私がそっと開いてみたくなる特別な本です。
 
 3部構成のその「I」は、福田さんの美術作品からはじまります。頁を半分折り込んだ書物、切りとられた文庫本の背表紙、細かな刺繍がほどこされた書物、消しゴムで彫られた数々の漂着物、原稿用紙に彫刻、粉塵の山……。はじめは些細な行為のはずが、繰り返し時間の経過とともに集積されると、一群れとなってこちら側に語りかけてくる強さがあります。

 故郷の郵便局で仕事をしながら、《はじまりからも終わりからも読むことのできる言葉》回文を、彼女は毎日書きました。「II」では、私家版でまとめていたいくつかの回文集から、再考を重ね選出した、7篇の回文へと続きます。回文は言葉遊びの要素が強いものですが、彼女は言葉を砕いて、徹底的に「素」の状態にするまで分解していきます。社会背景に帰属しがちで、束縛された不自由な言葉の枠から一気に解き放たれ、幼い時、音や視覚で感覚的に言葉に触れていた記憶を呼び覚ましてくれます。

 「III」の「片糸の日々」で、「I」の美術作品と「II」の回文の連関性が紐解かれ、『ひかり埃(ほこり)のきみ』が意外なことから誕生したのだと感銘を受けます。そこにはあえて触れませんが、私も研ぎすました感性で言葉とその純度に響き合えるようになりたいと願いつつ、「片糸の日々」の冒頭を引用して心に刻みたいと思います。

 「幼年時代の視覚に境界などあっただろうか。裏庭へつづく扉をひらくと、ハクモクレンの花に落ちるしずくも、ぬかるみに跳ねる犬も、わたしの濡れた睫毛も、すべてが濃密な空気と溶けあっていた。鳥の声が光にしみ、葉の色にうつる。木漏れ日のひとつひとつが何かをやさしくふりかえりつづける。からだは一枚の花びらとなって庭いっぱいにひろがり、まなざしは地中に沈みかけた陶器のかけらへと吸い込まれてゆく。世界と自分が細かな塵の集積としてひとつになり、霧散する。それらがいっせいに、今この瞬間に起きることとして迫ってくる」(上野)

小さなひかりに目を留めて

本屋さん_『どこにいるの イリオモテヤマネコ』
新版『野草の手紙 ~草たちと虫と、わたし 小さな命の対話から~』
ファン・デグォン 著 清水由希子 訳
自然食通信社 1,700円+税  装釘 橘川幹子

 1985年、独裁政権下の韓国、著者のファン・デグォンさんは、スパイの濡れ衣を着せられ、投獄されました。怒りとやるせなさで荒れ狂うような数年を経て、ファンさんはある日、刑務所内の空き地にわずかばかり生えている、野草たちに目を留めます。

 本書は、ファンさんが刑務所内で野草を観察し、育て、食べ続けた記録です。妹ソナさんに向けた書簡を後日にまとめたもので、そこに綴られる言葉はユーモアと愛情に満ち、ファンさんの真摯で謙虚なこころがよく伝わってきます。ファンさん自身による、愛らしいスケッチがついているのもうれしいところです。

 文中に登場する植物には日本名が記されており、また一部には韓国名も併記されているので、インターネットや図鑑で調べながら読むと「ああ、この草はこんな名前だったのか」「韓国ではこう呼ばれているのだな」などと、さらに楽しめます。名もない草花などと言うけれど、それはただ、私たちが知らないでいるだけなのですね。

 深くて暗い絶望のなか、ファンさんはきっと、草花に小さなひかりを見たのでしょう。ひびわれて壊れかけたファンさんのこころに、いつしか無数の草花が根づき、茂っていった。30歳からの13年と2カ月。その長すぎる受刑生活を思うとき、ファンさんの平和に満ちた文章の重さ、尊さがなおのこと胸にせまってきます。(島崎)

テキは手強い。1年のつもりが3年、10年

本屋さん_『どこにいるの イリオモテヤマネコ』
ふれあい写真えほん 『どこにいるの イリオモテヤマネコ』
横塚眞己人 写真・文 小学館クリエイティブ 1,400円+税
装釘 美柑和俊+MIKAN-DESIGN

 沖縄県西表島に棲む、イリオモテヤマネコ。特別天然記念物であり、絶滅危惧種。現在の生息数は、わずか100頭余り。森の奥に潜み、夜行性で鋭敏、人間にはなつかない。そのため、現地の人たち、猟師さんですら見かけるのは2~3年に一度なのだそうです。

 この獣を撮影するために島に移り住んだのが、著者の横塚眞己人さん。動物写真家。2ページ目から始まる本編には、イリオモテヤマネコの姿はなかなか出てきません。海辺に向かい、森に分け入って、被写体を探し続ける横塚さん。やっとその写真が登場するのは、16ページになってからです。実は、初めて撮影に成功するまで、3年がかかっています。つまり、それがこの16ページの時間経過。表紙を合わせた38ページは、10年にわたる活動からできているのです(最初は1年くらいの予定だったのだそうですが……)。

 なぜ、最初の1カットに3年がかかったのか。なぜ、それからは撮れるようになったのか。読者は、横塚さんと一緒にイリオモテヤマネコを追う「探偵の視点」「エコロジストの視点」になって本を読み進めていきます。ヒントとなるのは、島の自然と生き物たちの生態。『どこにいるの イリオモテヤマネコ』は、「イリオモテヤマネコがいるのはどういうところなのか」を考えてみることができる一冊でした。(菅原)

正直に生きるということ

本屋さん_『安吾のことば「正直に生き抜く」ためのヒント』
『安吾のことば「正直に生き抜く」ためのヒント』 藤沢 周 編
集英社新書 720円+税 装釘 原 研哉

 みなさんは、本屋さんに出かけて、どんな順番で書棚を回りますか。私は、ここ数年、新書がおもしろくて、真っ先にその棚に向かいます。
 
 新書のなにがおもしろいのか。

 時事問題、話題になった社会制度、人物伝などなど、タイムリーなテーマを、雑誌の特集のようにストーリー仕立てで読めるところでしょうか。新書は1冊200頁ほどですから、雑誌として考えたら、なんともぜい沢な特集になります。

 今回は、『安吾のことば』を紹介します。
 安吾とは、もちろん無頼派・新戯作派作家の坂口安吾。みなさんもよくご存じの「生きよ墜ちよ」の名フレーズで有名な『堕落論』の著者です。著書をひもとくと、過激で痛烈な、でも本質をついた愛のある言葉が数多く見られます。それらの言葉を、同郷の芥川賞作家・藤沢周さんが、選りすぐり、編んだのが本書。

 たとえば、戦争、政治、日本人の章には、こんな言葉が並びます。
「戦争はいたしません、というのは全く世界一の憲法さ」「時の民意の多数を制するものが真理ではない」「禁止弾圧の精神は、すでに戦争の精神である」「日本精神を意識することは危険である」。

 今の世相を表すような言葉の数々に、人間の本質は何年経っても変わらないのだ、という安吾の声が聞こえてきます。(矢野)

生命のかたちを縫う人

本屋さん_『恐竜がいた』
『恐竜がいた』 下田昌克 絵・恐竜制作 谷川俊太郎 詩 
スイッチ・パブリッシング 1,600円+税 装釘 船引奈々

 下田昌克さんが作った恐竜を初めて目にしたのは、2014年春にパルコミュージアムで開かれていた「壱万円芸術 歪んだ大人展」でした。体育の授業で使う体操マットみたいなキャンバス地で、綿が詰められた、柔らかいような硬いような、1mくらいの大きさの恐竜の頭です。幾重にも刺された縫い目を見つめていると、太い針のついたミシンを無心に動かしている人、しかもその作業が楽しくてたまらない! という人の姿が頭に浮かんできて、作者はどんな方だろう、と気になっていました。

 そして昨年、仲條正義さん(『暮しの手帖』の表紙を描いてくださっています)の個展「2016年、仲條」のオープニングで、下田さんのお姿を見つけ……。あれを縫い上げた人の手を、どうしても近くで見たい! と、どきどきしながら話しかけました。

 「あるよ!」と、下田さんがおもむろにトートバッグから取り出してくれたのは、なんとその恐竜!! (……も、持ち歩いているの!?)「ぼくの恐竜に谷川俊太郎さんが詩をつけてくれてね。絵本にしたの」と、この本を紹介してくださいました。そのとき作品を被らせてもらったのですが、恐竜は想像より硬くて骨みたいで、一方で握手した下田さんの手は、うんとあたたかで柔らかい感じがしました。

 下田さんは2011年夏、上野の国立科学博物館で「恐竜博」を見たことをきっかけに、遊びで恐竜の被り物を作り始めたのだそうです。
 顎が「ガブーッ」と動いて、生命感に溢れる下田さんの恐竜。
いのちが生まれて消えるってどういうこと? と、恐竜にもう会えない、この世界の寂しさを綴る谷川さんの詩。

 小さな骨や爪まで、地球に存在したはずの“かたち”を忠実に再現する下田さん。
「いのちのかたちをデザインしたのは いろんなかたちをきめたのは いったいなにか?」と、考える谷川さん。

 ふたりの作品が、過去と現在、生と死の世界の間で、読む人の思索を引っ張り合って、ぐっと深いところへ連れて行ってくれます。
(長谷川)


暮しの手帖社 今日の編集部