『なんにもなかった 戦中・戦後の暮しの記録 拾遺集 戦後編』を発売しました!

2019年07月22日

戦中戦後シリーズ

◎創刊70周年記念出版 「戦中・戦後の暮しの記録」第3集 完結編
『なんにもなかった 戦中・戦後の暮しの記録 拾遺集 戦後編』を発売しました!

構想から足かけ3年……、庶民の戦争体験を集めて書籍化する本プロジェクトは、最新刊の『なんにもなかった 拾遺集 戦後編』をもって完結となります。

『なんにもなかった』では、1945年8月15日の「玉音放送」前後の出来事が軸となる記録を集めています。
なかに、こんな証言がありました。

焼夷弾の落ちた穴に、進駐軍が捨てた残飯をさらって食べていた。
そこに肉切れがあれば水道で洗って、闇市で売るともうかった。
衣服は着たままで、衿や袖口は、あかと鼻汁をこすったあとで、てかてかひかり、みんなどぶねずみのような汚い姿をしていた。
空襲の焼け跡に何か残っているものはないかと探したが、我が家がどこにあったのかもわからないほどに焼けてしまっていた――。

終戦の実感はというと、
日夜続いていた空襲がなくなって、安心してお日様の下を歩くことができるようになったこと。夜は部屋を明るく灯しても、誰にも咎められなくなったのがうれしかったこと――。
そんな、ささやかなことからだったそうです。

突然国を失くし、家族を亡くし、明日をも知れぬ大混乱があっても、生きることを諦めなかった方々がいました。
ここには、そんな命懸けの明け暮れだった「あの日々」を、必死に生きた人の言葉があります。生きることのできなかった言葉無きたくさんの人々の思いも背負って。

新しい元号でのはじめての夏を迎えています。
そして、戦争の実感を持たない人だらけの世の中はもう目の前です。
この今の安穏と思える時間が、わたしたちを無知でいることに慣れさせ、次の不幸を生む土壌を作らないよう、あの日々に起きていたことを伝えてゆきたい。
戦後が「戦前」とならないために。

この三冊はぜひ揃えて、次の世代、そのまた次の世代、さらに未来の世代へと残し、つないでいただきたいと、心から願っています。
(担当:村上)


暮しの手帖社 今日の編集部