暮しの手帖だよりVol.19 early spring 2020

2020年02月10日

dayori20

絵 片桐水面

編集長のバトンを受け継ぎ、
心も新たに誌面をリニューアルしました。
ごくふつうの暮らしのなかにある、
深い幸せを掘り下げた一冊です。

文・北川史織(『暮しの手帖』編集長)

 

穏やかに晴れたお正月の朝、ゆったりと流れる隅田川を自宅から眺めながら、この原稿を書いています。
はじめまして、1月24日発売の早春号より編集長を務めます、北川史織と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
早春号をお手に取っていただいたら、「あれ? どこか変わったみたいだ」と思う方もいらっしゃるでしょう。そう、この号より、新たなデザイナーを迎えて、表紙のロゴやおなじみの連載のレイアウトもリニューアルを図りました。より読みやすく、軽やかで心地よいデザインをめざしましたので、ぜひご覧ください。

 

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『暮しの手帖』は、今年9月には創刊72周年を迎えます。親子三代で読み続けてくださる方も多いこの雑誌の、9代目編集長というバトンを手渡されたとき、自分はいったい何ができるだろう、何をしたらいいのだろうかと考えました。
これまで副編集長を務めてきた間も、懸命に考えながら誌面づくりをしてきたつもりでしたが、やはり、これほど深く考えたことはなかったかもしれません。
胸に浮かんだのは、以前、日本橋の老舗ばかりを取材したとき、あるお店の会長さんがおっしゃった言葉でした。
「暖簾は守るものじゃない。磨き、育てるものだよ」
そして教えられたのが、歴史の長い和菓子店が「いつも変わらない味だね」とお客さんから言われるためには、ときに小豆などの産地を変えたり、砂糖の配合をわずかに調整するといった工夫をし続けているという話でした。
時代とともに材料の風味も変われば、食べ手の嗜好も変わっていく。「変わらない味」をつくり続けるには、同じことをやっていればいいわけではなく、変えていく努力が必要なのだと。
私たちの雑誌で考えてみれば、いつまでも変わらない拠りどころのように感じてくださる読者もいれば、つねに時代を見据えて新たなチャレンジをしてほしいと願う方もいらっしゃるはずです。もしかしたら、一人の方からも、その両方を求められているのかもしれない。
変えてゆくことを恐れず、しかし、上っ面の流行には流されず。そうして1号1号、必死で考えて編んでいったら、この「暖簾」を育てられるのかもしれないな。そう考えるようになりました。

 

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早春号の内容を考え始めたとき、まず芽生えたのは、「〈ふつうの暮らし〉に向き合う一冊にしたい」という思いでした。ハレとケでいうならケを掘り下げて、そこにある楽しみやよろこび、できれば悲しみまで、きちんと掬い上げる一冊にできたらと思ったのです。
私たちつくり手自身が、〈ふつうの暮らし〉にどれだけ心を寄せて、そこに何を見出し、自分たちなりの言葉で語り表せるだろう。地味なテーマですから、これは一つの挑戦でした。
巻頭記事は、長野県の小さな集落で暮らす、砺波周平さん、志を美さんご家族を取材し、彼らの素の言葉をちりばめました。
周平さんは写真家ですが、集落では御柱祭などに引っ張り出される働き手であり、ときに面倒な人づきあいにも面白さを見出しながら、ここでの暮らしを丸ごと受け入れて愛おしんでいる。
それは、こんな言葉に表れています。
〈3年前から、地域のお祭りに参加しています。すごい人がごろごろしていて、お酒の席ではのんだくれている人も、お祭りではめちゃ頼れてかっこいい。人には尊敬できるところがそれぞれにあって、深くつきあえばつきあうほど、それが見えてくる〉
この記事のタイトルは、「丁寧な暮らしではなくても」。
誰かの「いいね!」を気にしながら暮らさなくたっていい。正直に、素のままで、一生懸命に暮らしていこう。「それでいいし、充分じゃない? って思うの」と話す、志を美さん。ああ、本当にそうだなと、深くうなずきました。

 

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料理記事3本は、いずれも「家のごはんができること」を見つめ直した内容とし、冒頭には、こんな言葉を添えました。
〈ただおいしいだけの料理なら、外食でじゅうぶん間に合うかもしれないけれど、あなたの身体を心からいたわる料理は、あなたの手でしかつくれない。
ときに面倒でも、とにかく自分の手を動かして、つくって、食べて、生きていく。
食を人任せにしないことは、いのちの手綱を自分でしっかり握ることなのです〉
告白すれば、私自身が「丁寧な暮らし」とは程遠く、終電になんとか乗り込んで、夜更けに慌ただしく料理することもしばしばです。それでも、自分の味ってやっぱりほっとするし、疲れが癒えるし、満足して一日を締めくくれるんですよね。
自宅で何度もつくり、もうすっかり覚えてしまった記事が、「白崎裕子さんの野菜スープの法則」です。
野菜と塩だけでつくるのに、固形スープの素を使うよりも格段にコクの深いおいしさに仕上がる秘けつは、「塩使い」にあり。「料理って科学なんだ」と、その面白さに目覚めていただけるはずです。ぜひ、お試しください。
「気楽に作ろう、養生水餃子」は、昨年の梅雨どきに編集部の台所で開かれた、料理教室がもとになっています。
先生は、中国整体師である棚木美由紀さん。漢方の知識に基づいて考案された水餃子は、あんに使う2種の材料の組み合わせで、身体の不調に働きかけます。たとえば、冷えがつらいときにおすすめという「にんじんとラム肉の水餃子」を頬張ると、身体がすぐさまぽかぽかしてくるのですから、不思議です。
もちっとした皮は、めん棒を使わず手だけで、意外なほど簡単につくれます。
「自分の体調に目を向けるきっかけにしていただけたら」という棚木さんの言葉に、はっとしました。私たちは、日ごろアタマで食べるものを選び、身体が悲鳴を上げても知らんぷりしがちかも。身体の奥からの声に耳を澄ませ、自分をきちんといたわることは、家でつくるごはんだからできること。
養生水餃子を楽しんでつくって味わい、そんな気づきを得ていただけたら、とてもうれしいです。
そのほか、「何てことない和のおかず」は、旬の野菜が主役の、ごく簡単なおかず10品をご紹介しています。一汁一菜の献立に、どうぞお役立てください。

 

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小さくて使い勝手のよい四つの台所を取材した記事が、「ひと工夫ある台所」。「現状維持」が基本の賃貸マンションの台所でも、「なるほど、こうして収納をつくれるのか」といったアイデアをご紹介しています。
食べることを大事にしているから、賃貸でも小さくても、工夫を凝らす。使う人の愛がひしひしと伝わってくる、質素でも実のある台所は、やっぱり素敵です。

最後にご紹介したいのは、〈ふつうの暮らし〉にある悲しみを掬い上げた記事「母を送る」です。
筆者は、料理家の高山なおみさん。昨夏に、90歳の母・照子さんを看取った日々を、当時の日記を交えて綴ったこの随筆の読後感は、ただ悲しいというだけに留まりません。
一つひとつ、できないことが増えていき、意識が濁っても、食べて飲み、生きようとする母の姿。高山さんはこう書いています。
〈私は母のそばにいるとき、A4サイズの紙束とペンを持って、ただじっと見ていました。人がどのようにして体を使い切り、この世から旅立つのか、毎日母から教えてもらっていました〉
私たちの暮らしは、ただ楽しいことばかりではなく、その先にはこうした〈終わり〉がそっと横たわっている。だから余計に、何気ない日々が愛おしいのかもしれません。

一年の始まりは、これからの暮らしをどう紡いでいきたいか、思いを巡らせる季節です。そんなとき、この一冊を開いて、心静かに向き合っていただけたら幸せです。
寒さはこれからが本番、どうかお身体をいたわってお過ごしください。

 

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◎リーフレット「暮しの手帖だより」は、一部書店店頭にて配布しています。
印刷される場合は、下記のトンボ付きPDFをダウンロードし、A3で両面カラー印刷されると四つ折りリーフレットが作れます。

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暮しの手帖社 今日の編集部