大橋鎭子と花森安治の出会い

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ついに、「天才編集者・花山伊佐次」誕生の章への突入ですね。
常子たち三姉妹が創った雑誌『スタアの装ひ』。創刊の着想はよかったのですが、編集技術が伴わず、事業としては成功に至りません。救世主として花山伊佐次に助力を求めますが、無下に断られてしまいました。花山にはどうしても引き受けるわけにはいかない、深い理由があるようです。さて、どんな展開になるのでしょうか。

実際の大橋鎭子も、上司の紹介を得て、花森安治に相談をもちかけます。「母親と妹たちを幸せにしたい。女性の役に立つ雑誌を作りたい」という強い思いをぶつける大橋。花森は、自分も早くに母親を亡くし親孝行できなかったこともあり、すぐに協力を快諾します。さらに花森は、「戦争で本当に辛い思いをした女性たちの力になりたい」「もう二度とこんな恐ろしい戦争をしない世の中にしていくためのものを作る」という信念を持って、引き受けたのでした。
それから30年以上、ふたりは志を同じくするビジネスパートナーとして協働します。
1946年、国民服やモンペから解放された女性たちがおしゃれを楽しむための雑誌『スタイルブック』を創刊。さらに2年後には、『暮しの手帖』(当初の誌名は『美しい暮しの手帖』)を創刊します。
驚くべきは、花森のマルチクリエーターぶりです。表紙画から小さなカット、記事の企画、レイアウトデザイン、取材、文章書きまで、ほぼすべてを自ら手掛けました。
「雑誌一冊、隅から隅まで、活字一本まで、私たちの心ゆくまで作り上げたい」という考えと美学を持って、『暮しの手帖』を作ったのでした。それは、花森が理想とする、「読者のための雑誌」を作るために必要なことでした。現在も、その心持ちは、『暮しの手帖』の雑誌作りの中心にあります。このほかにも、大橋と花森、ふたりのエピソードを満載した、別冊『しずこさん 「暮しの手帖」を創った大橋鎭子』『「暮しの手帖」初代編集長 花森安治』をぜひご覧ください。(担当・宇津木)


暮しの手帖社 今日の編集部