いま、「一銭五厘の旗」を立てるなら
私たちの暮らしが見えているか
2025年07月23日

四月だというのに、夏のように暑い日だった。休日で、私は駅ビルにあるスーパーに向かっていた。駅の階段を上って改札の前を通り過ぎようとしたとき、ひとりのおじいさんの姿が目に入った。彼は両手いっぱいになにか物を抱えていて、こわばった表情をしていた。おじいさんの後ろには、スーパーの店員と思われるエプロンをつけた女性と若い男性が立っている。ふたりの手はそれぞれおじいさんの肩や腕をつかんでおり、おじいさんはふたりの手から逃れようとしているように見えた。数人が足を止め、彼らの姿を見ている。おじいさんは、自身を引き留める手から逃れようとしていたが、しかし逃れられないまま、両手に抱えていた物を券売機の横の台に置いた。曲がった細い背中をこちらに向けた彼は、それらを守っているかのように見える。台からひとつ、床に落ちた。袋に入ったパンのようだった。
私がスーパーで買い物を済ませたあとには、もうおじいさんたちの姿はなかった。入れ替わりのように、駅前には街頭演説をしている議員がいた。経済についてなにかを喋っていた。私たちの暮らしを、彼は見たことがあるんだろうか。
上條宏実(かみじょうひろみ・読者)
