恋しいキッチン
第8回 肌寒い朝に、台湾のシェントウジャン
2025年11月05日

子どもの頃、両親は共働きで、帰ってくるのはいつも遅い時間でした。子どもたちが眠る頃、玄関のドアが開く音がして、母と父の声がぼんやりと聞こえたのを覚えています。平日の夕食はお手伝いさんが作ってくれていて、子ども6人という、当時でも少し珍しい大家族でした。今思うと、あの忙しい日々の中で私たちを養っていた両親のエネルギーと行動力には驚かされます。
大人になり、世の中にはさまざまなライフスタイルがあることを知った今では、違和感もすっかりなくなり、母親だからといって毎日台所に立たなくてもよいのでは? とさえ思うようになりました。けれど幼い頃の私は、家族全員でちゃぶ台を囲み、「いただきます」と声をそろえるような、温かい家庭の食卓に憧れていたのでした。
そんな両親ですが、おいしいものが大好きで、料理雑誌などを定期購読していました。インターネットの時代になった今、読書をする子どもはすっかり減りましたが、当時はマンガを始め、本や雑誌は当たり前の娯楽のひとつでした。私も家にある本や雑誌を端からペラペラとめくり、まだ料理ができない年頃からレシピを読むのが好きでした。そうするうちに、調味料の使い方や食材の切り方、焼き加減のコツなどを、少しずつ自然に覚えていったように思います。
映画やドラマに出てくる料理に憧れたのもその延長で、とくに「朝ごはん」には強い憧れがありました。寒い朝、眠い目をこすって起きると、湯気の立つおみそ汁や炊き立てのご飯、ある日は目玉焼きやバターがとろけるトーストが並んでいる。そんな情景は私にとって「幸せの象徴」でした。大人になった今も、その感覚は変わりません。
今回ご紹介するのは、そんな「朝の幸福」を思い出させてくれる料理です。台湾の定番の朝ごはん、シェントウジャン(鹹豆漿)です。
初めていただいたのは、今年の早春。帰国して間もない頃、東京での新生活の準備をしていた時期でした。しばらくのあいだ、パリ時代からの親友の家に滞在していたのですが、彼女は料理上手で、味はもちろん、器選びや盛りつけの美しさにもいつも感心させられます。そんな彼女が、少し肌寒い朝にさっと作ってくれたのが、湯気の立つ温かいシェントウジャンでした。たった数分で仕上げたとは思えないおいしさに驚きました。寝癖のついたまま笑い合いながら食べたあの朝のスープは、今でも忘れられません。まさに幸福の味でした。
シェントウジャンは、温かい豆乳にお酢を加えてゆるく固めた、おぼろ豆腐のようなスープです。本場では、そこに「ヨウティアオ(油條)」と呼ばれる細長い揚げパンを浸していただきます。スープを吸った揚げパンはもちもちの食感になり、ラー油やザーサイ、干しエビなどのうま味が重なって、絶妙なバランスです。日本ではヨウティアオが手に入りにくいので、私はバゲットやカンパーニュをカリッと焼き、スープと合わせて楽しんでいます。前回ご紹介したマラサダとも似た素朴さがあるヨウティアオも、いつか作ってみたいと思っています。
細ねぎや香草、ザーサイをのせるのが定番ですが、私は季節の野菜を焼いて添えるのが好きです。今回は秋らしく、れんこんとさつまいも、しめじを。あまり具を多くすると、豆乳のトロリとしたやさしさが隠れてしまうので、控えめがおすすめです。豆乳は弱火で温め、沸騰する直前で止めてください。お酢は黒酢でも米酢でも構いません。
もし幼い日の私がこの料理を知っていたら、豆乳が酢でゆるやかに固まる化学変化に、きっと目を輝かせていたことでしょう。心も体もやさしく包んでくれる、台湾の朝の味。肌寒い季節の始まりに、どうぞ作ってみてくださいね。
文・写真 カヒミ カリィ

台湾の豆乳スープ、シェントウジャン(鹹豆漿)
材料(1人分)
・無調整豆乳…220ml
・黒酢(または米酢)…小サジ2杯
・しょう油…小サジ1杯弱
・細ねぎ(小口切り/または香菜・ざく切り)…適量
・れんこん(厚さ5mmのいちょう切り)…適量
・さつまいも(厚さ5mmの輪切り、太ければいちょう切り)…適量
・きのこ(しめじ、舞茸など)…適量
・干しエビ…大サジ1杯
・ザーサイ(みじん切り)…小サジ1杯
・ごま油…適量
・ラー油…適量
作り方
1 器に黒酢、しょう油、細ねぎを入れ、軽く混ぜておきます。
2 フライパンにやや多めのごま油を中火で熱し、れんこん、さつまいも、干し海老をカリッと焼きます。きのこは軽く色づくまで炒めます。
3 小鍋に豆乳を入れて弱火にかけ、うっすらと沸いたらすぐに火を止めて、1に注ぎます。
4 2、香菜(または細ねぎ)、ザーサイをトッピングし、ラー油を垂らして出来上がり! よく混ぜて、バゲットやカンパーニュのバタートーストと一緒に召し上がれ。

カヒミ カリィ
ミュージシャン、文筆家、フォトグラファー。1968年生まれ。
フランスで約8年、アメリカで約13年暮らし、2025年春に日本へ帰国。
『暮しの手帖』の連載「すてきなあなたに」にも寄稿。
Instagram:https://www.instagram.com/kahimikarie_official/
