恋しいキッチン

カヒミ カリィ

第13回 手のひらで握る、愛おしい思い出

2026年04月01日

おにぎりはとてもシンプルですが、不思議と、誰の中にもそれぞれの記憶が詰まっている、特別な食べ物なのではないかと思います。朝ごはんやお弁当、仕事の合間に急いで食べるコンビニのおにぎり……私にも、子どもの頃から今に至るまで、おにぎりにまつわる思い出がいくつもあります。今日はその中から、いくつかをお話ししますね。

まず思い出すのは、高校生の頃の夜食のおにぎりでしょうか。ちょうど食べ盛りで、毎晩のように夜中まで黙々と宿題やテスト勉強をしていました。しんと寝静まった家の中で、お腹がすいてくるのです。私はそっと階段を降り、暗いキッチンへ行って、パチッとライトをつけ、冷蔵庫の中を物色します。梅干しや昆布の佃煮、ツナなどを見つけると、炊飯器のふたを開けてご飯が残っているか確認し、残っていれば迷わずおにぎりを握っていました。家族が眠っている真夜中にこっそり夜食を作り、机に戻ってラジオから流れる洋楽を聴きながらおにぎりを頰張る時間が、たまらなく至福でした。

今思えば夜中に、しかも2個もおにぎりを食べるなんてどうかと思いますが、でも当時の私は、栄養がどうとか炭水化物がどうとか、そんなことは何ひとつ気にしていませんでした。むしろ、あの頃が人生で体重のピークだったようにも思います。「少し痩せなくちゃなあ」と思っていたのに、原因のひとつがあの夜中のおにぎりにあったとは気づいていない、そんな10代の自分が、今はなんだか愛おしく感じます。

おにぎりには、もうひとつ、思い出すと少し恥ずかしくて笑ってしまう出来事があります。音楽活動で忙しかった頃、DVDの特典映像を撮影することになり、レコード会社のスタッフと朝一番で鎌倉へ向かった日のことです。いつもお世話になっている撮影スタッフの方々に、何か差し入れをしたい。そう思って、まだ薄暗いうちに起き、前の晩から浸水しておいたお米を炊いて、5人分のおにぎりを作ることにしました。若い男性スタッフが多かったので、いつもより多めにご飯を炊きました。

私は髪を頭のてっぺんで梅干しのように丸めて結び、眼鏡をかけて、黙々とおにぎりを握りました。ところが、思ったより早く鍋の中のご飯が空っぽになってしまいます。「あれ?」と思いつつも、シャワーを浴びている間にもう一度浸水して、追加で炊飯することにしました。すっきりして戻ってくると、第二弾のおにぎり作りです。しかし、またしても予想より早く鍋の中のご飯がなくなっていきます。並べたおにぎりはずしりと重く、なんとなく胸騒ぎがしました。

そしてコンタクトレンズに換えて、最後に海苔を巻こうとキッチンへ戻った瞬間、私は気づきました。目の前のおにぎりが、どう見ても普通より大きいのです。そうなのです。私はひどい近眼で、度の強い眼鏡をかけると、実際のサイズより物が小さく見えることがあります。普段は気にしていなかったのに、まさか眼鏡のまま握ったせいで、巨大なおにぎりが出来上がっていたとは。手の感覚で気づきそうなものですが、早朝でぼんやりしていたことと、薄暗いキッチンで黙々と作業していたことが重なり、私はそのまま突き進んでしまったのでしょう。

作り直す時間もなく、ご飯も一体何合炊いたのかと思うほどたっぷりのおにぎり。結局そのまま持参しました。タッパーに入れたおにぎりは、どっしりと重く、ちょっとした鈍器のようでした。ランチタイムに理由を説明すると笑いが起こり、若い男性スタッフたちも「うまい!」と言って、サイズなど気にせずモリモリ食べてくれたのが救いです。それでも思い出すと、今でも恥ずかしさが少しだけ頰に戻ってきます。

もうひとつ忘れられないのは、ニューヨークに住んでいた、娘が小学4年生だった時の思い出です。夏休み前、クラスで近所の公園に集まり、持ち寄りのランチパーティーをすることになりました。娘に何がいいか聞くと、「おにぎりがいい」と言います。お弁当に入れていった時に、子どもたちや先生たちが「それ何? sushi?」と興味津々で、「おいしそう!」と言ってくれたのだそうです。

私は少し意外に思いながらも、今度は子どもたちのために、たくさんのおにぎりを握りました。もちろん同じ失敗はできないので、はじめからコンタクトレンズを入れて、サイズもきちんと確認しながら、少し小さめに。具は娘のリクエストで、焼き鮭とツナマヨの2種類にしました。

当日、娘のクラスにはさまざまな国の子どもたちがいて、テーブルにはベーグルやサンドイッチ、マカロニサラダはもちろん、餃子なども並びます。寿司はニューヨークでも人気ですが、おにぎりは和食店か日系スーパーでないと、普段はあまり見かけません。子どもたちがどんな反応をするのか、私も少しドキドキしていました。

すると、おにぎりは大人気でした。子どもたちが群がり、あっという間になくなっていきます。公園で一列に座って、おいしそうにおにぎりを頰張る姿が、あまりにもかわいくてたまりませんでした。アフリカ系の男の子が私を「マム」と呼び、最後にひとつ残っていたおにぎりを見つめながら「食べていい?」と聞いてきました。「もちろんいいわよ」と渡すと、「yummy!」と、うれしそうに頰張ってくれて、その表情を見た瞬間、胸がいっぱいになりました。おにぎりは世界平和に貢献できる立派なメニューだと、私はそれ以来、本気で思うようになりました。

さて、皆さんが一番好きなおにぎりの具は何でしょう。鮭でしょうか、それともたらこでしょうか。どれも選びがたいおいしさですが、私がひとつだけ選ぶなら、塩むすびです。理由は、プロレスラーのアントニオ猪木さんの料理本『闘魂レシピ』にあります。本屋で「元気を出せっ! 迷わず食せよ 食せば分かるさ」という帯に一目惚れし、今でも大切にしている一冊です。

素材選びで料理の9割が決まる、と語る猪木さんが、最初のレシピに選んだのが塩むすびでした。子どもの頃、おじいさんが釜で炊いたご飯のお焦げをすくい、大きな手で握ってくれたという、ソフトボールくらいの丸いおむすび。海苔も巻かない塩むすびからは、作り手の愛情が真っすぐに伝わるのだといいます。「たくさん食べて元気になってほしい」。その言葉が、今でも私の心に残っています。

こうして改めて思い出すと、夜中の台所の背徳感も、鎌倉の大失敗も、ニューヨークの公園の笑顔も、ばらばらに見えて、どれも私の手のひらでちゃんと繫がっているような気がします。

おにぎりは、具より先に気持ちが入る食べ物なのかもしれません。時々、眼鏡の度まで入ってしまうのですが……!

今日、あなたが思い出すおにぎりは、どんな味でしょうか。

文・写真 カヒミ カリィ



カヒミ カリィ
ミュージシャン、文筆家、フォトグラファー。1968年生まれ。
フランスで約8年、アメリカで約13年暮らし、2025年春に日本へ帰国。
『暮しの手帖』の連載「すてきなあなたに」にも寄稿。
Instagram:https://www.instagram.com/kahimikarie_official/