恋しいキッチン

カヒミ カリィ

第18回 香りを聞く、香りを飲む

2026年09月02日

先日、東京・小金井にある三光院での蓮茶の会にお招きいただきました。

蓮の花は上野の不忍池や葛飾区の水元公園、調布の神代植物公園へ観に行ったことがあります。一度、宮城県の伊豆沼にある美しい蓮の池でボートに乗り、そのあとに蓮茶をいただくという、すてきな経験もしました。それでも、蓮の花の香りをこんなに意識したのは今回が初めてで、本当に貴重な時間でした。

というのも、蓮茶の会の始まりに、まず20種類以上もの蓮の花の香りを聞き比べさせていただいたのです。「香りを嗅ぐ」のではなく、「香りを聞く」と言うのだそうです。耳を澄ます、という言葉がありますが、心を澄ませて香りを聞く、という感じだなと思いました。ひとつずつ蕾に顔を近づけてみると、驚くほどしっかりとした香りがします。しかも、同じ蓮なのに少しスパイシーなもの、爽やかなもの、ふっくらと甘いものなど、どれも同じではありません。まるで香水を試しているようです。蓮の花は早朝に開いて、やがて昼ごろには閉じる。それを繰り返し、4日目には花びらを散らすのだそうです。なかでも2日目に開く朝の花が、もっとも豊かに香るのだとか。

蓮の研究者である石川祐聖(ゆうせい)先生から蓮についてのお話を伺い、その後、茶師の田島庸喜(のぶよし)さんがご自身で作られた蓮茶を淹れてくださいました。蓮茶にはさまざまな作り方がありますが、この日いただいたものは、烏龍茶の茶葉を蓮の蕾の中に入れ、花の香りを茶葉に移すという作業を5回繰り返したものです。ひと口いただくと、想像していた以上に芳しい香りが口の中から鼻へと抜けていきました。花そのものを飲んでいるわけではないのに、そこには確かに、先ほどまで聞いていた蓮の香りがありました。香りは、こんなふうにお茶の中にとどめておくことができるのだ、と不思議な気持ちになりました。

さらに印象に残ったのが、調香師の沙里さんによる香りの体験です。数珠などを作る過程で生まれた伽羅や白檀の削り屑をたいた、小さな香炉を本物の蓮の蕾の中に忍ばせます。すると蓮の生の香りに、伽羅や白檀の香りが重なって、細い煙とともに立ちのぼってきました。その煙を「匂いの糸」と表現されていたのが、とてもすてきでした。目を凝らさなければ消えてしまいそうな細い煙が、するすると空へ向かって伸びていく。蓮の瑞々しい香りと伽羅の深い香りが重なる様子も、本当に1本の見えない糸のようでした。

香りというものは不思議です。形もなく、手でつかむこともできないのに、ひとつの香りから突然、ずっと昔にいた場所や、その時の空気までよみがえってくることがあります。

私にとってハーブティーも、そんな記憶と結びついた飲み物です。ニューヨークの友人から、ちょうどこの蓮茶の会と同じ頃、カモミールティーとレモンバーベナティー、それからバラの花が入ったハーブティーなどが届きました。なんとも良いタイミングです! 封を開けるたびに違う花や葉の香りがして、このところ、その日の気分で1種類だけ淹れたり、いくつかを混ぜてみたりして楽しんでいます。

レモンバーベナとミントは、ランカスターに住んでいた頃に毎年、庭で育てていました。必要な分だけ摘んで、そのままポットに入れてお湯を注ぐこともあれば、部屋の中に吊るして乾燥させ、保存しておくこともありました。生の葉にお湯を注いだ時の香りは、乾燥したハーブとはまた少し違います。湯気と一緒に青々とした香りが立ち上がる瞬間が好きでした。

ミントティーを好きになったのは、もっと昔、パリに暮らしていた頃です。Grande Mosquée de Paris(イスラム教の礼拝堂)のカフェで飲んだミントティーは、ポットに生のミントが驚くほどたくさん入っていました。そこに角砂糖を入れて、しっかり甘くしていただきます。初めて飲んだ時には、その甘さにもミントの量にもびっくりしましたが、熱くて甘いお茶から立ち上がるミントの香りが鮮烈で、なんともおいしくて、すっかり好きになりました。

今年は東京の家でも何種類かのミントを育てています。葉を少し摘んだだけでも香りが残り、暑い夏の日には、それだけで少し涼しくなったような気分になります。

花の香りのお茶では、ジャスミン茶と桂花茶も昔から好きで、わが家の定番です。茶葉にジャスミンの花の香りを何度も重ねて移したお茶は、飲むと気持ちがほどけて、同時に目の前が少し明るくなるような清々しさがあります。そして桂花茶は、秋の道を歩いている時に、どこからともなく漂ってくる金木犀の香りを小さな茶碗の中に閉じ込めたようです。甘く柔らかな香りなので、静かに過ごしたい夜にも飲みたくなります。

蓮、ジャスミン、金木犀、バラ、カモミール。レモンバーベナやミントの葉。考えてみれば人は昔から、花や葉の香りをどうにかして手元に残し、飲み物にして楽しんできたのですね。花はいつか散り、生の葉もいつか枯れてしまいます。でも、その短い季節の香りを茶葉に移したり、乾燥させたりすることで、私たちは少し先の時間まで持っていくことができます。

三光院でいただいた蓮茶を思い出すと、「匂いの糸」という言葉がまた浮かんできます。香りには、時間や場所を結ぶ糸のようなところがあるのかもしれません。パリで飲んだミントティー。ランカスターの庭で摘んだレモンバーベナ。ニューヨークの友人から届いたカモミールやバラ。そして東京で初めて聞いた、蓮の香り。遠く離れた場所と時間が、湯気の向こうでひとつにつながっていきます。


今日も庭からミントを少し摘んで、ポットに入れてみようと思います。お湯を注いだら、すぐには飲まずに、まずは立ち上がってくる香りを、ゆっくり聞いてみることにしましょう。

文・写真 カヒミ カリィ



カヒミ カリィ
ミュージシャン、文筆家、フォトグラファー。1968年生まれ。
フランスで約8年、アメリカで約13年暮らし、2025年春に日本へ帰国。
『暮しの手帖』の連載「すてきなあなたに」にも寄稿。
Instagram:https://www.instagram.com/kahimikarie_official/