日本文学を訳すモノです
第6回 拙い日本語でスピーチをしてしまった
2025年10月15日

先日、大阪韓国文化院で韓日翻訳家トークイベントがあった。
「翻訳をどうやって始めたのか」「どんなルーティンで翻訳しているのか」「校正は何度するのか」。いろいろな質問をいただいた。三十年以上、まるで織り機を踏むように毎日同じ作業を繰り返してきたので、翻訳について改めて考える機会もなかったのだが、多くの方が翻訳というものに関心を持ってくださっているのだと実感した。
昔、翻訳を志す若者に「翻訳家になりたいです」と言われると、反射的に「生活は大変ですよ。普通に就職した方がいいです」と返していた。でも、もうすぐ60歳になる今は少し考えが変わった。確かに、いまだに儲けてはいない。だが、同世代の友人たちが「退職後どうするか」で悩む年齢になっている中、私は現役としてますます活動できている。それは何よりの魅力だ。ようやく「職業とは、お金だけでは測れないものだ」と実感するようになった。そんな話をしたかった。
正直に言うと、あれほど多くの人の前に立ったのは、生まれて初めてのことだった。もともと人前に出るのはとても苦手だ。スピーチはさらに苦手だ。しかも韓国語ではなく、拙い日本語で講演デビューだ。なぜそんな無謀なことを? 理由は単純。今年の私のテーマが「挑戦」だからだ。
子どもの頃に本で見た写真だが、北朝鮮の炭鉱に「60青春 90還暦」というスローガンが掲げられていたのを覚えている。自分がその60歳に近づいた今、ふとその言葉が頭に浮かんだ。本来は「高齢者も働け」という意味で使われたのかもしれないが、私はこれを「60歳になっても挑戦できる!」と前向きに解釈した。小心者の私は、これまで「私にはできません」と逃げ腰になることが多かった。でも、これからは「私だってできる!」と言ってみたい。その最初の挑戦が、このイベントだった。……と、少し偉そうに語ってみたけれど、実のところ、滞在費用を出してもらえると聞いて「この際、ただで大阪旅行できるなら」と思った下心もちょっとあったことは否定できない。
韓日翻訳者の吉川凪さんと、司会のすんみさんの見事なスピーチにうまく乗っかる形で、なんとか無事に終えることができた……と思ったら、最後の挨拶でまさかの失敗。実は、最初の挨拶で話そうと準備していた内容だったのだが、緊張のせいで言えず、せめて最後にでも伝えたかった。
「三十年前、三鷹で大江健三郎さんの講演を聞いたことがあります。そのとき大江さんがこうおっしゃいました。アトランタ文化オリンピアードに参加すると母に伝えたら、母は近所の人に『うちの息子は走るのも苦手なのに、オリンピックに出るんですって』と話したそうです。もし私の母が——」
ここまで言った途端、「母」という一言で、思いがけず涙がこぼれてしまったのだ。泣きながら「母はもう亡くなったのですが、もし私が韓日翻訳家トークに出ると知ったら、『うちの娘は日本語も下手なのに、韓国代表で出たんですって』と言ったでしょう。拙い日本語を聞いてくださり、ありがとうございました」と、涙声で締めくくるしかなかった。泣かなければ、ちゃんと笑い話になっていたのに。涙が出たせいで、台無しにしてしまった。
それでも、イベント後には予定外のサイン会が始まり、本を持ってきてくださった方にサインをし、お手紙やプレゼントまでいただいた。泣いたことに対して、「一緒に泣きました」「少女のようでした」と声をかけてもらい、少し救われた気がした。こうして私は、日本語での初めての“本格スピーチ”を、「半分成功」と呼ぶことにした。
イベントが終わったあと、せっかく大阪まで行ったのだからと、二泊三日で京都・奈良・神戸をまわった。短い旅だったが、思いがけない出会いや心に残る出来事がいくつもあった。そのひとつが、京都でのこんな場面だ。京都の清水道バス停で、ある男子高校生に「二寧坂スタバ」への道を尋ねたら、一緒の友達が七人もいて、彼らも修学旅行で福島県から来ていたという。知らないおばさんに話しかけられたら、ちょっと引いてもおかしくない年頃なのに、彼らは立ち止まって道端の地図を一緒に見たり、スマホで調べたりして、「僕たちが案内します」と笑顔で先導してくれた。明るく元気な子たちで、おしゃべりを交わしながら楽しく歩いた。途中で「写真撮りましょう!」と誘ってくれて、一緒に記念撮影まで。
スタバの前まで連れていってくれたとき、ちょうど向かいに団子屋さんがあったので、感謝を込めて一人ずつにごちそうした。子どものように喜んでくれて、こちらまでうれしくなった。韓国から来たおばさんに道を教えて、団子までごちそうになった修学旅行——きっと彼らの記憶にも残ったんじゃないかと思う。私もすっかり幸せな気持ちになった。肝心の二寧坂スタバは満席で入れなかったのだけれど。
そんなオチまで含めて、日本語でのトークイベントも旅も、すべてが「60の青春」だった。残りのお土産話は、またいつか機会があれば。
文 クォン・ナミ
クォン・ナミ
韓国を代表する日本文学の翻訳家。エッセイスト。1966年生まれ。20代中頃から翻訳の仕事を始め、30年間に300冊以上の作品を担当。数多くの日本作家の作品を翻訳し、なかでも村上春樹のエッセイ、小川糸、益田ミリの作品は韓国で最も多く訳した。著書に『スターバックス日記』『面倒だけど、幸せになってみようか』など。日本語版が刊行されているものに『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』がある。
