反復横跳び、ときどき休憩

岡本真帆

第4回 円グラフ、見せてください

2025年07月09日

習慣が好きだ。人のルーティンについて聞くのが好きだ。朝は何時に起きるのか。起きてから何をするのか。創作をする人なら、一日のどこでそれをやるのか。寝るのは何時か。寝る前に必ずやっていることはあるのか。

そんなふうに、その人の一日の時間割を聞くとき、私の心はうれしさで小さく波立つ。

最近は、いろんな作家さんの新刊発売イベントに、ゲストとして呼んでいただくことが増えてきた。そんなときも私はつい、「一日の過ごし方」を聞いてしまう。

ある方には、朝起きてまずコーヒーを淹れてから机に向かうと教えてもらった。またある方は、朝がどうしても苦手なので、夜の時間を大切にしていると言っていた。コーヒーを淹れたあとどうするのか、夜遅くまで作業する場合、いつ入浴するのか。そういうことをさらに聞いて、満足し、私はただ、にこにこするだけだ。

それは、物件の間取りを眺めて、知らない暮らしを想像するのに少し似ている。どんな時間に起きて、どこで何をして、どこで寝るのか。部屋の配置や窓の向きから、住む人の気配を想像するように、ルーティンの話から、その人の生活のかたちや、大切にしていることが浮かび上がるのが、何より楽しい。

先日、『オモコロチャンネル完全読本』という本が発売された。YouTubeチャンネル「オモコロチャンネル」のメンバー5人のインタビューや、視聴者アンケート、ゲスト寄稿と、内容は盛りだくさんなのに、私が最も興奮したページは、メンバーそれぞれの「1日のスケジュール」だった。24時間のメモリがついた円グラフがあり、平日、休日の過ごし方が書き込まれている。説明が簡潔な人もいれば、丁寧に文章で補足している人もいて、個性が出ているのがたまらない。

円グラフと言えば、作家・西尾維新の執筆スケジュールも最高だ。2017年に行われた展覧会『西尾維新大辞展』で、彼の3種類の執筆スケジュールが公開された。通常執筆日、マンガネーム執筆日、旅行中執筆日と、仕事の内容や環境ごとに異なるルーティンで書くことに向き合っている。仮眠や入浴を一日に数回取り入れることで、朝が何回も来るように錯覚させているらしいのだ。展覧会終了後にインターネットでそのことを知り、どうしてもその円グラフが手元に欲しくなった私は、古本屋で図録を入手。たまに開いては、その奇抜なスケジュールを眺めてうっとりしている。

一方で、たまに企業の採用ページに、社員の一日のスケジュールが載っていることがあるけれど、あれにはそこまで心が動かない。あまりに整っていて、本当の暮らしが見えてこないからだ。よく見せるために多少は脚色もしているだろうし、私が知りたい、生活の細部のようなエピソードや時間は省略されてしまっているのが残念だ。そもそも、縦軸のタイムスケジュールにはあまりときめかない。私が好きなのは、やはり円グラフなのだ。一日の時間を切り分けて見せてくれる円グラフがいい。

円グラフにすると、ある一日だけではなく、平均的な時間の流れが浮かび上がる。そこに、その人の「こうありたい」がにじんでいる気がして、うれしくなってしまう。例えば、ほんの少し多めに取られた散歩の時間、わざわざ残してある、何もしない時間。

生活を続けるのは、とても大変なことだ。そして、私たちの生活を邪魔しようとするものは無数にある。どんなに強く願う夢があっても楽な方に流されるのは簡単で、流れに逆らうのは難しい。だからこそ、小さな工夫で地道に成果を積み上げようとしている人の生活を見たくなるのだ。知りたくなるのだ。長く走り続けるためにどんな工夫をしているのか、それぞれがさりげなくあらがって時間と戦っている姿が、円の切り分けの中に見える。

就職して一番衝撃だったのは、大学時代にあんなにあった自由な時間が、ほとんどなくなってしまったということだった。大学生の一日の過ごし方と、会社員の一日の過ごし方は、あまりに違う。特に大学4年生ともなると、順調に単位を取り終えていれば、授業はほとんど残っていない。私は卒論のないゼミに入っていたので、4年生のうちは週に2、3コマだけ授業に出て、あとはコミュニケーションのゼミに顔を出すくらいだった。それ以外の日は、昼まで寝て、近所のカフェで本を読んだり、明るくて静かな図書館でうとうとしたり、午後の芝生で友達とサンドイッチを食べたり、夜までファミレスでどうでもいい話をしたり、していた。そんなふうに、どこにでも散らばっていた時間は、社会人になった途端、すっかりどこにもなくなった。

もし学生のころから何かを作っていて、だらだらと過ごしたあの時間のほとんどを創作に捧げていたら、きっと同じ時間の使い方ができなくなったことに絶望していたと思う。幸いにも、私が短歌を作りはじめたのは社会人3年目からで、文章を書くようになったのもここ数年のことだ。創作に使える時間は、始業前と、終業後しかない。自分が自由に使える時間の輪郭をよく知っているからこそ、続けていくための戦略が立てられる。

机に向かえるのは5分でも10分でもいい。電車で移動するときに一行メモを残すだけでもいい。少し手をつけるだけで、何もしないよりはずっと違う。それを積み重ねるだけで、思ったよりも遠くへ行ける。だから私は習慣を信じている。習慣の力を借りて、できるだけ無理なく、楽な気持ちで楽しくやりたいのだ。

会う人全員の円グラフが見られたらいいのに、と妄想することがある。一人ひとりに「あなたの生活、円グラフにしてくれませんか」とノートを差し出して書いてもらいたいところだが、それはドン引きされるだけで、なかなか難しそうな気がする。だから私は漫画『DEATH NOTE』の「死神の目」を思い出す。「死神の目」とは、人の寿命と本名が見える特殊能力だ。あんな感じで、その人の一日のスケジュールが円グラフで見えたらいいのに。それをのぞき見て、静かにほほえみたい。

仮にもし、そんな能力が手に入ったら、私は作家やアーティストの円グラフを集めて額装し、「円グラフ美術館」を作りたいと思う。

真っ白な壁に、色とりどりの円グラフが並ぶだけの展示室。誰の円グラフも、似ているようで少しずつ違っていて、どこかにその人の工夫や、ささやかなあらがいが潜んでいる。どの項目を何色で塗るのかも、人によって異なる。睡眠時間が黒で塗られている人もいれば、白の人もいるだろう。

この方は散歩の時間が、爽やかなグリーンなのか。似合うなあ。コーヒーを淹れているこの15分の時間は、本当に大事なんだろう。説明が何もない無色の時間は、窓の外を眺めているのかもしれない。わかるよ、私も、窓の外を見るのが好き。

そんなふうに静かに心の中で相づちを打ったり、何度もうなずいたりしながら、また次の円グラフを眺める。その人の作品そのものはもちろんだけれど、生活の円グラフだって、その人となりを雄弁に表すものだ。いいなあ、円グラフ美術館。誰か、建ててくれませんか。

文 岡本真帆


岡本真帆(おかもとまほ)
歌人、作家。1989年生まれ。高知県出身。SNSに投稿した短歌「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」が話題となり、2022年に第一歌集『水上バス浅草行き』を刊行。ほかの著書に『あかるい花束』『落雷と祝福 「好き」に生かされる短歌とエッセイ』。東京と高知の二拠点生活、会社員と歌人の兼業生活を送るなかで気づいた日々のあれこれを綴る。