日本文学を訳すモノです
第8回 忙しいのに楽しくて、楽しいのにもうからないNジョブラー
2025年12月17日

“Nジョブラー(엔잡러)”とは、複数を意味する「N」と「job(仕事)」、「〜er」を組み合わせた韓国の造語で、本業を軸に自分のやりたいことを広げていく人のことだ。経済的な必要に迫られるというケースもあるが、まず先に好奇心が動き出すタイプ。気がつけば私も、まさにその生き方をしていた。
数カ月、ヒコロヒーさんの小説『黙って喋って』を訳していた。最近ようやく訳者校正まで終えた。依頼を受けた際、「著者ご本人が訳稿(翻訳文)をチェックします」と編集者から聞かされ、テレビで見たシックなたたずまいとしっかりした話し方が浮かび、思わず背筋が伸びたのを覚えている。恋愛小説だったが、とても面白かった。少し情けなく、どこかいとおしい人間の姿が、生々しく描かれていた。翻訳しているあいだ、とうに消え去ったはずの恋愛細胞が、息を吹き返すほど共感できる物語だった。
ただ、ひとつだけ困った点があった。一文が、とにかく長いのだ。
韓国では短文を好む傾向があり、長い文をそのまま訳すと、編集者は読者のテンポを考えて容赦なく文を切る。訳者としては、できるだけ著者の呼吸を残したい。校正のたび、静かな綱引きが始まる。今回も編集者に落とされた文をそっと縫い直し、原文のリズムをどうにか守った。だって、韓国語がお上手なヒコロヒーさんが訳稿を読むんだもの。
翻訳机を離れると、私は自然と童話を書き始めていた。はい、ジョブがまた増えました。そもそも童話を書くようになったのは、『面倒だけど、幸せになってみようか』というエッセイ集のおかげだ。この本が出た時、思いがけず反応がよかった。すると出版社からエッセイはもちろん、小説、童話まで、次々に声がかかった。
気付けば、いつの間にか童話を書いていた。小学校1年生の頃からの夢が、ようやく形になりつつある。少しずつ書き進めていた童話も、仕上げなければならない。待ちくたびれた編集者からは、そろそろ本気の催促が届いた。児童書の翻訳には慣れていても、翻訳から創作へ乗り換えるには、思った以上に時間も覚悟も必要だった。
ようやくメルヘンの世界に沈み込み始めたところへ、編集者からメールが届いた。
「月末に、若竹千佐子さんの『台所で考えた』の校正紙をお送りします。タイトルが変わりましたので、あとがきの修正もお願いします」
タイミングが残酷で、思わずのけぞりそうになった。そこへ、追い打ちのメールが飛んでくる。
「書き下ろしの『東京ひと月暮らし』のエッセイ、1月までの締め切りでお願いします。」
小さく息が漏れた。あ、そういえば『暮しの手帖』WEBの原稿も締め切り目前だった。
Nジョブラーの日々は慌ただしく、締め切りはなぜか示し合わせたように集中する。そりゃ一瞬パニックにもなる。そんな時は一日か二日、あえて何もしない。すると頭の中がすっと整い、優先順位が自然と浮かび上がる。そして締め切りのいちばん近いものから順番に片付けていく。だからいま私は、この原稿を書いている。
Nジョブラーは忙しい。でも楽しい。ところがもうからない。それでも、この生き方が私は好きだ。私って、意外とマゾなのかな。まあ、いいけど。
追伸:ここで触れた『面倒だけど、幸せになってみようか』、平凡社から静かに出ています。気が向いたら、そっと手に取っていただけたらうれしいです。
文 クォン・ナミ
クォン・ナミ
韓国を代表する日本文学の翻訳家。エッセイスト。1966年生まれ。20代中頃から翻訳の仕事を始め、30年間に300冊以上の作品を担当。数多くの日本作家の作品を翻訳し、なかでも村上春樹のエッセイ、小川糸、益田ミリの作品は韓国で最も多く訳した。著書に『スターバックス日記』『面倒だけど、幸せになってみようか』など。日本語版が刊行されているものに『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』がある。
