日本文学を訳すモノです

クォン・ナミ

第12回 晴れ女の娘と、還暦の旅

2026年04月15日

20代の頃、日本人の年配の方々と富士山を見に行ったことがある。よく晴れたあの日、富士山は写真のようにくっきりとそびえていた。実際に目の前で見る富士山の姿が夢のようで、思わず見とれていると、その中の一人がこんなことを言った。
「富士山はね、親孝行な人が来ると天気が良くなるっていうんだよ。今日こんなに晴れているのは、あなたが親孝行だからかもしれないね」

娘とスペインやパリを旅しているあいだ、ふとその言葉を思い出した。道中、ずっと晴天が続いていたからだ。娘に「あなたのおかげでいい天気なのよ」と伝えると、娘はきょとんとした顔をしていた。

前回のエッセイで触れたように、無事に還暦旅を終えて帰国した。以前、東欧をパッケージツアーで回ったことがあるので、ヨーロッパが初めてというわけではない。ただ、パッケージツアーには自由がない。行きたい場所に行き、いたい場所にとどまり、食べたいものを食べ、休みたいときに休める自由。それがない代わりに費用は抑えられる。

ヨーロッパ自体が初めての娘は迷わず自由旅行を選んだ。私は招待される立場としておとなしくその選択に従った。内心では喜びながらも、不安も大きかった。いちばんの心配はスリだった。ヨーロッパにはスリが多いと聞くし、小柄な東洋人の女性が二人で歩いていたら格好の標的になるのではないか。韓国ではカフェのテーブルにスマートフォンや財布を置いたまま席を外してもまず問題はないが、ヨーロッパでは手を離した瞬間に自分のものではなくなると思え、といった注意が繰り返されていた。スリの事例をあまりに多く見過ぎて、しまいには自分でもスリができそうな気がしてくるほどだった。

スリに加えて心配だったのは、バスや列車、国内線の飛行機が遅れるのは珍しくなく、ときには何の説明もなく運休になることもあるという点だった。娘に「旅では何が起こるか分からない。良いことも悪いことも、思い返せば良い思い出になるから、何があっても慌てず、互いを責めず、まずはどう対処するかを考えよう」と、まるで賢母のように言ったものの、実際にはガイドも保護者も旅費を出してくれたのも、すべて娘だった。娘よ、ありがとう。

いよいよ、私たちは防犯用のバッグを体の前にかけ、バックパックは二重三重にロックし、スマートフォンとバッグをストラップでつなぐなど万全の準備で飛行機に乗り込んだ。バルセロナまで14時間半。あの狭い座席にそんな長時間座っていられるのかと心配だったが、数時間もすると退屈さえ感じなくなっていた。

バルセロナではガウディ建築に圧倒され、夜はタパスを楽しんだ。グラナダではアルハンブラ宮殿に心を打たれ、セビージャではフラメンコの奥にある哀しみを知った。パリでは多くの名所を巡ったが、いちばん心に残っているのは、チュイルリー庭園で娘と並んで過ごした静かな時間だった。そうして過ごしなさいと言わんばかりに、大きな池を囲むように緑色の椅子が置かれていた。

本当に楽しく、すべて順調な旅だった。スリに遭うこともなく、利用した交通機関はすべて定刻どおりに発着した。重いスーツケースを抱えて階段を下りていたときには、俳優のようなイケメンがさっと下まで運んでくれた。レストランでも買い物でも誰もが親切で、人種差別を少し心配していたが、まったく感じることはなかった。

数日前、還暦の日にパリでスナップ写真家に撮ってもらった写真が届いた。20代の頃、還暦の自分がどんなふうに年を重ねているのか気になっていた。その答えを、一枚の写真が教えてくれた。エッフェル塔を背景に、自分のエッセイ集『ひとりだから楽しい仕事』を手にほほ笑む私がいた。

追伸:村井理子さんとの往復書簡『海をわたる言葉』(集英社)が刊行されました。翻訳をし、エッセイを書き、子育てをし、愛犬を見送り、親の介護をする——海を隔てていても、驚くほどよく似た日々を生きてきた二人が交わした手紙です。ぜひお手に取っていただけましたら幸いです。

文 クォン・ナミ


クォン・ナミ
韓国を代表する日本文学の翻訳家。エッセイスト。1966年生まれ。20代中頃から翻訳の仕事を始め、30年間に300冊以上の作品を担当。数多くの日本作家の作品を翻訳し、なかでも村上春樹のエッセイ、小川糸、益田ミリの作品は韓国で最も多く訳した。著書に『スターバックス日記』『面倒だけど、幸せになってみようか』など。日本語版が刊行されているものに『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』がある。