日本文学を訳すモノです

クォン・ナミ

第18回 「著者も私、訳者も私」の喜びと恥ずかしさ

2026年10月21日

翻訳者人生で、いちばん顔から火が出る仕事をした。村井理子さんと一緒に書いた『海をわたる言葉 翻訳家ふたりの往復書簡』が韓国でも出版されることになり、その本を私が訳したのだ。

数えきれないほど日本の本を訳してきたけれど、まさか自分の本を自分で訳す日が来るとは。これはとてもうれしく、光栄なことである一方で、ひどく恥ずかしく、苦しい仕事でもあった。どんな気持ちかというと、やたらと明るい照明の下で鏡をのぞきこみ、シミがどれくらい広がっているか、そばかすがいくつあるか、毛穴は何ミリ開いているかを、ひとつひとつ確かめるような気持ちである。中年の同志のみなさん、この苦しみ、お分かりいただけますよね?

翻訳を終えて、「著者にして訳者のうれしさと恥ずかしさ」というタイトルで、訳者あとがきを書いた。この本は、集英社のウェブサイト「よみタイ」に連載した、村井さんとの往復書簡をまとめたものだ。この一文のすべてが喜びである。翻訳の仕事、家族、認知症の親の介護。公開前提の書簡ではあるけれど基本は村井さんに宛てたメールだった。そのせいか、ふだんのエッセイでは書けないことまで、不思議なほど文章がすらすらと出てきた。日本語で、日本のウェブサイトに連載するという無防備さもあった。

問題は、その「すらすら」だった。
どうやら、日本語で書いているときの私は、韓国語で書くときより少し大胆になるらしい。旅先と似ているのかもしれない。このあいだ娘とバンコクへ行ったとき、韓国では真夏でもノースリーブをほとんど着ないはずの私が、背中が大きく開いた服で平気で歩き回っていた。ソウルに戻って写真を見ると、背中が丸見え。そこで初めて、顔が熱くなった。まったく同じである。私を知る人のいない旅先だからできた肌の露出と、私を知らない日本の読者の前だから書けた正直さ。きっと同じ原理なのだ。

ありがたいことに、著者にして訳者の私には、ちょっとした権限があった。ふだんは原文に手を入れる場合は、出版社やエージェントを通して著者の確認を取らなければならない。ところが今回は、その必要がない。だって、著者はうちに住んでいるのだから。

「あ、これは家族が読んだら、ちょっとまずいかも」と思う箇所は、削除。
感情が濃すぎる文章は薄めに。浮かれて書き連ねた仙台の話も、少し短く。もちろん、村井さんの文章は忠実に訳した。権限は、自分の文章にしか行使できない。

何より恥ずかしかったのは、本の後半に収めた村井さんとの対談だった。書簡があまりに饒舌で恥ずかしかったのだとすれば、こちらはうまく受け答えができなくて恥ずかしかった。私は日本語の会話が苦手である。少し込み入った話になると、頭の中の日本語がどこかへ隠れてしまう。書簡ではあんなに親しげでおしゃべりだったくせに、いざ対談となると、急に口数が少なくなる。どうにもぎこちない。それもそのはず、日本語の会話もおぼつかないうえに、聞き取れるのも七割ぐらい。それに、一年間メールをやりとりしてきたとはいえ、初対面でいきなり対談だった。しかも場所はあの集英社。緊張、緊張、緊張。言いたいことはたくさんあるのに、口も耳もついてこなくて、もどかしかった。自分の母語に訳して初めて「ああ、村井さん、こんなことをおっしゃっていたんだ」と、腑に落ちることも多かった。

対談のあと、書簡であれほど口にしたビールを飲みに行った。ビールを飲んでいるうちに、ようやく緊張がほぐれた。村井さんが言った。

「ナミさん、お酒を飲むと、日本語がすらすら出てきますね!」
ふふ、私、そういう傾向がありましてね。次回は飲酒対談にしましょう。いや、対談はやめて、飲酒だけにしましょう。

こうして、うれしいやら恥ずかしいやらの翻訳は、どうにか終わった。韓国の読者の反応が楽しみである。いや、気になる。この連載が終わる前に、みなさんにもご報告できたらいいですね。

文 クォン・ナミ


クォン・ナミ
韓国を代表する日本文学の翻訳家。エッセイスト。1966年生まれ。20代中頃から翻訳の仕事を始め、30年間に300冊以上の作品を担当。数多くの日本作家の作品を翻訳し、なかでも村上春樹のエッセイ、小川糸、益田ミリの作品は韓国で最も多く訳した。著書に『スターバックス日記』『面倒だけど、幸せになってみようか』など。日本語版が刊行されているものに『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』がある。