日本文学を訳すモノです

クォン・ナミ

第17回 バケットリストを叶えたら

2026年09月16日

私は、いろいろなものに触れるのが人より遅いほうだった。わりと型どおりに生きてきたからだ。大学に入って初めてコーヒーを飲み、ビールも初めて飲んだ。それまでは喫茶店にも行かなかったし、学校行事で映画を観に行くとき以外は、映画館の近くに寄り付きもしなかった。週末、変装して映画館へ行き、先生に見つかって、月曜の朝に叱られている子たちを見ては、「どうしてあんなことをするんだろう」と呆れていた。学生の頃、こんな歌謡曲が大ヒットしていた。「行くなと言われたところには行かず、するなと言われたことはしなかったので、いつもおとなしい子だと褒められていました」。まさに私のことだった。

緑茶を初めて飲んだのも、大学生のときだった。当時の韓国では、緑茶を日常的に飲む習慣がなく、私もそれまで飲んだことがなかった。まだ韓国では、一部の人しか海外旅行に行けなかった時代。私は日本の研修プログラムに参加して、真夏の北海道へ行った。ホームステイ先では、一日に何度も温かい緑茶が出てきた。そこで初めて緑茶を飲んだのだが、まだ子どものような舌には、あの苦みと渋みがどうにも合わなかった。かといって断ることもできず、毎日、漢方薬でも飲むような気持ちで飲んでいた。暑い夏だったので、内心では冷たいものが飲みたいなと思っていた。

ある日、「クォンさん、冷たいムギチャ、飲む?」と聞かれた。「ムギチャ」が何なのかは分からなかったが、「茶」という言葉を聞いただけで怖くなり、「いいえ、結構です」と断ってしまった。
あとになって知った。「ムギチャ」とは、私があれほど飲みたがっていた、「ボリチャ(麦茶)」のことだった。当時の韓国では、麦茶をやかんいっぱいに沸かして、水代わりに飲んでいた。それを日本では「お茶」として飲むことも、私には不思議だった。もちろん今では、緑茶がいちばん好きだ。日本のスターバックスにも緑茶があればいいのになあ、と思う。

さて、そんな模範生だった頃の私の「バケットリスト」は、屋台に行くことだった。バケットリストとは、生きている間にやりたいことを書き出したリストのことだ。韓国ドラマで、屋台に座ってつまみを食べながら焼酎を飲む場面をご覧になったことがあると思う。そう、あの屋台だ。そんなささやかなバケットリストは、大学に入って叶った。一緒に行った貧乏な男友達は、焼酎一本に付いてくるサービスのムール貝ばかり何度もおかわりして、とうとう店のおばさんに追い出されてしまった。

それからは、バケットリストなんて考える余裕もない大人になった。来る日も来る日も翻訳に追われた。朝起きてから夜寝るまで、ひたすら翻訳。そんな四十代のある日、ふと思った。
「いつか東京で一カ月間、暮らしてみたい!」
東京で新婚生活を送ったことはあるが、その頃は妊娠、出産、育児に追われ、東京での暮らしを楽しんだ記憶はほとんどない。結婚前にも東京に住んだことがあるものの、学生だったその頃は、食べたいものを食べ、欲しいものを買い、行きたいところへ好きなように行けるほどの余裕はなかった。
だから今度こそ、食べたいものを食べ、行きたいところへ行き、誰の予定にも合わせず、東京で一カ月くらい、のんびり暮らしてみたかった。そしてようやく、子育ても親の介護も終わり、自分だけの時間を持てるようになった。これまで頑張って生きてきた自分へのご褒美に、一カ月の「安息月」を取ることにした。58歳のときだった。

航空券を予約した。旅行で訪れたときにはゆっくり過ごせなかった、桜の咲く上野公園を思う存分散歩し、ベンチに座って本を読み、屋台で焼き鳥をつまみながら生ビールを飲む。そんな暮らしを夢見て、上野駅から歩いて5分のところに宿を取った。
優雅な大人の、ゆったりとした東京一カ月暮らしを夢見ていたのだが、不器用な私の一カ月は、九州から上京したばかりの三四郎よろしく、右往左往、てんやわんや。それでも31日間、どの日もわくわくするほど楽しかった。まるで、遊園地の一日フリーパスが31枚入ったプレゼントボックスから、毎日1枚ずつ取り出して使っているようだった。

そして、その記録がつい先日、韓国で『安息月日記』という、かわいい装丁の一冊の本になった。娘が本を読み終えると、感激した様子で言った。
「ママ、ほんとによく書けてる! 最初から最後まで、ひとつもハズレがなくて全部おもしろかった。それに、私もこんなふうに生きたい、こんなふうに歳を重ねたいって思った。ほんと、尊敬する!」
実は、この「東京一カ月暮らし」プロジェクトの実質的な出資者は娘だった。その娘にそう言ってもらえて、本を出したあと誰もが抱くような不安が、ようやく消えた。目頭が熱くなるのをごまかしながら、私は言った。

「ほらね。株より、お母さんに投資したほうがいいよ。」

文 クォン・ナミ


クォン・ナミ
韓国を代表する日本文学の翻訳家。エッセイスト。1966年生まれ。20代中頃から翻訳の仕事を始め、30年間に300冊以上の作品を担当。数多くの日本作家の作品を翻訳し、なかでも村上春樹のエッセイ、小川糸、益田ミリの作品は韓国で最も多く訳した。著書に『スターバックス日記』『面倒だけど、幸せになってみようか』など。日本語版が刊行されているものに『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』がある。