今日の編集部

きょうは8月15日、81回目の終戦の日です。

2026年08月15日

きょうは8月15日、81回目の終戦の日です。

小社は、終戦の翌年に創業しました。雑誌『暮しの手帖』を創刊したのは1948年、まだまだ物がなく、人々が暮らしをなんとか打ち立てようとしていた頃でした。
初代編集長の花森安治は、敗戦を迎えた日のことをこんなふうにつづっています。1971年刊『一銭五厘の旗』より。

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戦争がない ということは
それは ほんのちょっとしたことだった
たとえば 夜になると 電灯のスイッチをひねる ということだった
たとえば ねるときには ねまきに着かえて眠るということだった
生きるということは 生きて暮すということは そんなことだったのだ
戦争には敗けた しかし
戦争のないことは すばらしかった
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きょうは、29586日目。
夜になれば電灯をつけ、ねまきに着かえて眠る、
人々がそんなあたりまえの日々を取りもどして、29586日目のきょうです。

近年、「いまは戦後ではなく、戦前である」という言葉を聞くことが増えました。
一方、「戦争をしたい人などいない。戦争を防ぐために、抑止力を持つのだ」という言葉も。
29587、29588、29589、29590、29591、29592、29593、29594……
わたしたちはこの先、どれだけ、このあたりまえの日々を守っていけるでしょうか。

しきりと思い返すのは、金田茉莉さんの言葉です。2022年に発行した『暮しの手帖』19号の記事から。10歳になろうとするときに東京・浅草の空襲で親を亡くし、戦争孤児として戦後を生きた金田さんは、淡々とした口調でおっしゃいました。

「戦争を知らない人は、戦争とは兵士同士が勇敢に戦うものと思うかもしれません。でもウクライナを見ればわかるように、民間人がひどい目に遭い、家族を失い、家を焼かれて、ふるさとをなくす、それが戦争の本質です」
そして、こうもおっしゃいました。
「国は責任なんか取りません。大人として、そのことを知っておいてほしい。そして、未来の子どもたちを守ってほしいと思います」

「国」は、戦争孤児たちにいまだなんの補償もしていません。国が責任を取る姿を見ないまま、金田さんは、2023年に亡くなられました。

戦争責任とは、なんでしょう。
国が責任を取らないとするならば、戦争を知る人がいなくなるこの先に、誰が、どのようにそれを担うのでしょうか。

私は、戦争責任とは、「戦後」を、「戦争のない日々」を、続けていく責任のことだと思います。それを担えるのは「国」などではない、主権者たる私たち一人ひとりである、とも。

戦争の犠牲になった人を思って。未来を生きる人のために。そして、戦中に虐げた方々に対する「約束」として。一人ひとりが、歴史に学び、過去を顧みて、「戦後」を続ける不断の努力をする。
それが、電灯をつけ、ねまきに着かえて眠る私たちが果たせる、責任であるはずです。
そして、思うのです。世界に目を転じれば、きょうは「終戦の日」ではないことを。いまも戦下で息を殺し震えて眠る人がいて、かけがえのないいのちがこの瞬間にも消えようとしていることを。

あらゆる戦争を、虐殺をゆるさない。それをゆるす政治はゆるさない。
困ることは困ると言う。おかしいことはおかしいと言う。
皆で言う。ひとりでも言う。

29586日目のきょう、81回目の8月15日。
皆さまがこうした誓いに賛同し、ともに心に刻んでくださることを願います。

『暮しの手帖』編集長
島﨑奈央


写真1枚目:『暮しの手帖』5世紀37号(2025年8-9月号)「いま、一銭五厘の旗を立てるなら」で制作した旗。(撮影 竹之内祐幸)
写真2枚目:花森安治・著『一銭五厘の旗』(1971年刊)