いま、「一銭五厘の旗」を立てるなら
他人を分類せずにいたい
2025年07月23日

自分の中に差別があるかもしれないと、考えたことはありますか? 恥ずかしながら私はこれまで一度もありませんでした。肌の色、話す言葉、性別。それ以外にも、言語化できない深いところで誰かを分類していたかもしれないのに。
以前、婦人科に行ったとき、問診票の「妊娠を希望する」に、知らないうちに丸がつけられていたことがありました。医師には「まあまあ、まだ若いし……」と励ますように言われ、私は曖昧に笑うことしかできませんでした。
些細なことだと何度も自分に言い聞かせましたが、帰宅後、玄関で涙が止まらなくなりました。
私たちの心の奥や社会にある「無意識の差別」は、あまりに細かく、さまざまなかたちで存在しています。私たちはその溝を越えられないかもしれない。でも、想像することはできるはずです。分類された人としてではなく、自分と同じ体温をもった、目の前の「あなた」を想像する。それを忘れなければ、この社会を少しずつあたためていけるのではないかと思うのです。
望月柚花(もちづきゆか・読者)
