森のアトリエ雑記
第4回 メダカの学校は森の中
2025年06月25日
新作の脚本の締め切り前で、森のアトリエに自らカンヅメになっております。とても静かなので、心ゆくまで自分を追い込むことができています。でも、ときには一息ついて、つくりかけの作品から体を離す時間もあります。ベランダに出て、ビオトープを眺めるのです。
ビオトープというのは、動植物の生態系を人為的につくった、いわば生きている箱庭です。僕のビオトープの登場人物は、メダカ、エビ、タニシ、バクテリア、水草やコケ。彼らの食物連鎖がうまくいけば、餌やりや水替えなどの世話をしなくても大丈夫、というもの。メダカのフンを、エビやタニシが食べて、そのフンをバクテリアが分解して、それを栄養として水草やコケが育ち、それをメダカが食べて……。ああっ、興奮しますね!
……大丈夫でしょうか。読んでるあなたと、この文章との間に、温度差が生まれてしまっていませんでしょうか。「しーん」と言われてしまいそうですが、続けてみます。
数年前の、夏のある日。
ホームセンターでトロブネを買ってきました。トロブネとは、セメントをこねるのに使うプラスチックの容器です。ここにビオトープをつくります。観察しやすいように、下に枕木を敷き、少し高さをつけました。
レンガや石や流木などをダイナミックに組み合わせて、美しい景色をつくります。石は青龍石というのを選びました。こいつがカッコよくて、その姿はまるで巨大な岩です。そこに、そのへんで採集してきたコケを貼り付けていきます。水を入れます。あらかじめバケツにくみ置きしておいた、塩素の抜けた水道水です。敷いた砂が舞わないように、そーっと。それでも、わずかに濁りが出ます。これは数時間もすれば沈殿して、きれいな透明になります。ソーラーポンプで水を循環させて、ちっちゃい滝もつくりました。おお、渓谷のジオラマだ。もしかすると、盆栽ってこういう楽しさなのかもしれないな。
メダカには、いろいろ種類があります。中には、錦鯉みたいなメダカとか、夜の銀座にいそうなキラッキラの物凄いメダカもいます。これらは品種改良によって生まれたんだそうです。僕が飼っているのは「黒メダカ」といって、メダカの原種に近いものです。これが好きなんです、地味で。
さらに、ミナミヌマエビ、ヒメタニシ。メダカと相性がいい水草のマツモを入れます。これで、ビオトープの完成です。さあ、僕を楽しませておくれ、いきものたちよ。
冬が来ました。
気温が下がるにつれ、メダカの数が減りました。なぜだろう。ビオトープ内の他の生物に食べられたのでしょうか。あるいは、ベランダによく来る小鳥のしわざでしょうか。これもまた、自然なことなのかもしれないけれど、管理人としては責任を感じます。メダカ全滅はいやなので、冬の間はビオトープをお休みして、室内での飼育に切り替えることにしました。
新居はガラスの水槽です。ビオトープは上から覗き込んでの観賞でしたが、水槽にしたことで、横から観察できるようになりました。メダカの流線形のシルエット。小さいけれど、ちゃんと魚です。横顔もいいね。室内での飼育なら、水が凍ってしまうこともないし、天敵もいません。越冬は、無事に成功しました。
春が来ました。
よく見ると、お腹に卵をつけているメダカがいました。舞台の小道具で使った虫眼鏡を引っ張り出してきて、何度も確認しました。間違いなく、卵です。ちいちゃな消臭ビーズみたいなやつが、10粒ほど。感動。
翌日、母メダカのお腹から卵がなくなっていました。水槽内のどこかに産みつけたのだと思います。しかし、いつまで待っても稚魚の姿は現れません。調べてみたら、メダカの卵や稚魚は、大人のメダカに食べられてしまうことがあるらしいのです。うーん。
数日後、再び卵をつけた母メダカを発見。今度は卵をつけた母メダカを、小さな飼育ケースに移しました。個室なら他のメダカに食べられてしまう心配はありません。産卵床という、メダカが卵を産みつける人工水草みたいなものを浮かべました。ですが母メダカ、産卵床を無視して、飼育ケースの底に卵を産み落としました。個室には土や砂利を敷いていなかったので、卵を簡単に見つけることができました。ほっ。
毎日観察を続けました。けれど、ぜんぜん孵化する様子なし。うんともすんとも言いません。「すん」くらい言ってほしい。4月とか5月とかって、あたたかい日もあれば、急に気温が低い日もありますよね。そういうのも関係あるのかと思って調べてみたら、めちゃくちゃ関係ありました。メダカの卵は、水温×日数が250を超えると孵化するんだそうです。つまり、水温25度だと10日間、という計算。今の水温では、まだまだ低いようです。そこで、水槽に水中用ヒーターを設置して、25度に設定しました。
虫眼鏡で卵を毎日観察しました。透明な消臭ビーズに、だんだん色ムラができてきて、そのうち黒い点が2つ現れます。目です。こうなると、もうそれが小さいメダカだということがわかります。そしてそして、卵たちは次々に孵化しました。すっごい小さくて、ほとんど鼻毛だけれど、ちゃんと生きてます。うれしい! この稚魚たちを、大事に育てよう。無事成長して冬も越せれば、また新しい命が生まれるかもしれない。卵の中には、孵化しないものもありました。孵化できたとしても、ぜんぶが大人になれるわけではありません。これ、自然界ではさらに低い確率なんだそうです。僕の水槽では、多くのメダカが元気に育つように、できるだけのことはしてあげよう。
……ここまで読んだ賢明な読者は、こう思ったかもしれません。「この人、暇なのか?」と。確かに、この頃は暇だったのかもしれません。正確には、忙しく創作活動に専念したくても、そんな元気がなかった、と言いますか。
僕がビオトープをつくり始めたのには、きっかけがありました。僕の仕事は、人を楽しませる作品をつくることです。しかし、あるストレスから、作品を生み出せなくなってしまった時期があったんです。そんなとき、森のアトリエでひとり、こう思ったんです。
「悩み事と切り離された、自分だけの守られた世界がほしい」
そして始めたのが、ビオトープだったんです。愛情を注げば、静かに成長で応えてくれる。そんなビオトープとの時間は、僕にとって大切なものになりました。その後、ストレスの原因から距離をとることができて、再び僕は作品を生み出せるようになりました。そしてビオトープは、僕のささやかな趣味になったのです。
初夏。
久しぶりに、外のトロブネで飼育することにしました。以前つくったビオトープは、いったん片付けちゃってたので、また、一からです。今回は、ダイナミックなジオラマのようにはしません。ソーラーポンプの滝も、水槽用のブクブクなどもなし。水草の光合成と、風による水面の波で、水中の酸素を保ちます。必要最小限の環境で、命の循環を観察したいと思いましてね。
環境が整い、いよいよメダカを移します。この作業はメダカにストレスを与えないように、いつも慎重になります。水槽の水と、トロブネの水を、少しずつ混ぜたりして、水質と水温の変化を最小限に抑えます。水質が大丈夫かどうかは、エビを見ればわかります。エビは、水質が悪いと暴れるんです。今回は大丈夫そうです。ミナミヌマエビ、新居を楽しそうに探検しています。というわけで、無事、引っ越し完了。メダカたちが自由に泳ぎ回っています。今年はどのくらい増えてくれるかなあ。
命の循環の尊さ。それを果たすための知識。いきものたちは、いろんなことを教えてくれます。メダカの学校は、僕も生徒にしてくれました。
“自分だけの守られた世界”、皆さんにもありますか?
つづく
絵と文 小林賢太郎
小林賢太郎(こばやしけんたろう)
1973年生まれ。横浜市出身。多摩美術大学卒。脚本家・演出家。コントや演劇の舞台作品、映像作品、出版など。2016年からアトリエを森の中に構えて創作活動をしている。