日本文学を訳すモノです
第1回 1994,東京
2025年05月21日
27歳、どこかへ逃げ出したかった頃、彼に出会った。
彼は吉祥寺で働いていて、私はソウルに住んでいた。翻訳本を2冊出したばかりの駆け出し翻訳者だった私は、神保町の古本屋街で翻訳書を探すために東京を訪れていた。その時、彼と出会った。28歳の彼は中古で買ったというベンツに乗っていた。「一生結婚するつもりはなくて、ベンツを買っちゃった」と言った。48カ月のローンで。
出会って2日目、彼はベンツの中でこんなことを言った。「結婚しようなんて言える立場じゃないけれど、もし50歳になってもひとりだったら、一緒に暮らそう」
よく言うよ、と思った。が、ソウルに戻ってから、彼と手紙やファクスを交わすことになった。27歳の私、相当ひまだったね。
それから二人は、月に一度、東京かソウルで会うようになった。いわゆる遠距離恋愛だった。そして6回目に会ったのが、結婚式の日だった。つまり、出会ってから6カ月で結婚してしまったのだ。
ひと目惚れだった? いいえ。
燃え上がるような恋だった? 全然。
理想の人だった? まったく逆。
裕福な家の人だった? いや、ベンツに騙された。私に会った時、ローンは残り47カ月。買ったばかりだった。
『東京ラブストーリー』のカンチとリカではないけれど、「あの日あの時あの場所で」出会って、結ばれる運命だったのだと思う。彼に出会って話をしてみると、私たちはずっとすれ違ってきたことが分かった。私は地方生まれ、彼はソウル生まれ。私がソウルに引っ越すと、彼は地方へ。彼がソウルに戻ると、私は東京へ。彼が東京に行くと、私はまたソウルへ。なのに、ほんの短い旅の途中に、東京で出会ってしまった。それはもう、避けようのない運命だったとしか思えない。
1994年5月、ソウルで式を挙げ、翌日には一緒に東京へ戻った。記録的な猛暑で、今も多くの人の記憶に残っているあの年。テレビでは、北韓の金日成が亡くなったというニュースが流れた。宮沢りえさんが「すったもんだがありました。すったもんだを飲みました」と缶チューハイのCMをやっていた。12歳の安達祐実ちゃんが「同情するなら金をくれ!」と名セリフを叫んでいた。Mr.Childrenの『innocent world』が街じゅうに流れていた。村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』が出版された。そして、私のお腹には小さな命が宿っていた。
家の近くに三鷹市立図書館があって、私は学校かのように通った。翻訳する本を探して神保町の古本屋を歩き回らなくても、好きなだけ本を選べるのが幸せでたまらなかった。ただ、ほやほやである新婚生活で幸せだったのがそれだけ、というのが罠。幸いにも、結婚生活はお腹の中の命が小学校1年生を終える頃に終わった。そして、彼は元夫になった。一生分の勇気を振り絞って彼と縁を切ったあの頃の私、バンザイ。
2025年5月。還暦を目前にした私は、今、神楽坂のカフェでこの文章を書いている。1994年の東京で「今回の人生は失敗かも……」とつぶやいていた20代の私に伝えたい。未来のあなたは、三鷹の図書館で読んでいたあの『暮しの手帖』に、エッセイを連載し始めたよ。あなたの人生、もしかしたら成功かもしれない。あなたが選んできたすべては、間違いなんかじゃなかった。ここにたどり着くまでの、過程だっただけ。お疲れさま、20代の私。
文 クォン・ナミ
クォン・ナミ
韓国を代表する日本文学の翻訳家。エッセイスト。1966年生まれ。20代中頃から翻訳の仕事を始め、30年間に300冊以上の作品を担当。数多くの日本作家の作品を翻訳し、なかでも村上春樹のエッセイ、小川糸、益田ミリの作品は韓国で最も多く訳した。著書に『スターバックス日記』『面倒だけど、幸せになってみようか』など。日本語版が刊行されているものに『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』がある。