日本文学を訳すモノです
第4回 神楽坂で出会った4人の小学生
2025年08月20日

春のある日、ふと日本語の会話を習いたいと思った。読むことや書くことはそこそこできるけれど、「話す」となるとどうも自信がない。もしトークイベントでも開かれたら、この会話力ではきっと恥をかくだろう。想像しただけでぞっとする。
ならば、年を重ねる前に、現地で会話を身に付けよう。そう心に決めた。決めたら、すぐに行動に移すのが私の性格だ。良く言えば積極的、悪く言えば衝動的。いくつか仕事の予定もあり、東京に2カ月ほど滞在して会話力を磨くことにした。娘に計画を話し、日本語学校とマンスリーマンションを昼夜問わず探した。そして気に入ったところを見つけ、支払いまでさっと済ませた。航空券も手配し、あっという間に準備完了。いや〜、われながらカッコいいアラ還だわ、とひとりニヤリ。
その2カ月は、新しい街や人との出会いで彩られた。日本語学校へ向かう道で神楽坂通りを歩き、赤城神社で「行ってきます」と手を合わせる。それが一日の始まりだった。授業が終わると、ノートパソコンを抱えて近くのスターバックスへ向かい、翻訳や原稿書きに没頭する、そんな毎日だった。そうした日々の中、毎日新聞「なつかしい一冊」への原稿依頼が舞い込んだ。思い浮かんだのはリリー・フランキーさんの『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』。久しぶりに読み返そうと千代田区立千代田図書館へ向かう道すがら、今も思い出すと笑顔になるかわいいハプニングに出会った。
日本語学校から図書館までは約1.5キロ。残念ながら私はかなりの方向音痴で、Googleマップを見ても方角が分からない。その日もスマートフォンでGoogleマップを見ながら迷子になっていた時、小学生2人が別れる場面に出くわし、近くの子に図書館までの道を尋ねた。すると、別れた子も引き返してきて、2人で顔を見合わせながら一生懸命説明しようとしたが、難しかったようだ。すると、たまたま通りかかった同じクラスらしい女の子を呼び、その女の子も説明を試みたが、やはり難しかったのか、今度は通りすがりの男の子を呼び止めた。こうしてあっという間に小学5年生4人が勢ぞろい。4人の案内をまとめると、こうなった。
「このまま真っすぐ行って、大きな通りに出たら右に曲がると九段下駅があります。りそな銀行の看板が見えたら、その方向に行ってください」
これだけで十分たどり着けそうな気がした。お礼を言うと、子どもたちは「九段下駅でまた聞いてみてください」と心配そうに付け加えた。そこでいったんみんなと別れたが、少し歩いたところで、やはり心配だったのか後をついてきて、最後にこう念を押した。
「分からなかったら、スマートフォンでGoogleマップを調べてください」
その一言に、思わず噴き出してしまった。Googleマップがあっても迷子になるバカなのよ。
別れ際に、ふと思い付いて聞いてみた。
「コンビニは近くにある? お礼にみんなにアイスクリームでもごちそうしたいんだけど」
すると、予想外の答えが返ってきた。
「お言葉だけでありがたいです(ぺこり)。学校で給食を食べた帰りなので、おなかいっぱいです」
なんて礼儀正しく、思いやりのある子たちだろう。道端で胸がじんとし、思わず涙がこぼれそうになった。
この日、子どもたちの案内と励ましのおかげで、無事に千代田図書館に着き、静かな閲覧席で『東京タワー』を手に取った。世界がすっかり平和に見えた。
その原稿は7月5日付の毎日新聞に掲載された。ソウルの家に届いた新聞を手にすると、4人の笑顔が浮かび、ふと彼らの学校が気になった。記念に撮った写真をChatGPTに見せると、Tシャツの英字から小学校がすぐに判明。何度も見た写真なのに、なぜか今まで気付かなかった。
あの時の4人、本当にありがとう。君たちのような子どもがいるなら、この地球の未来はきっと明るい。いつかソウルに来たら声をかけてね——あ、名刺渡し忘れた。
文 クォン・ナミ
クォン・ナミ
韓国を代表する日本文学の翻訳家。エッセイスト。1966年生まれ。20代中頃から翻訳の仕事を始め、30年間に300冊以上の作品を担当。数多くの日本作家の作品を翻訳し、なかでも村上春樹のエッセイ、小川糸、益田ミリの作品は韓国で最も多く訳した。著書に『スターバックス日記』『面倒だけど、幸せになってみようか』など。日本語版が刊行されているものに『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』がある。
