日本文学を訳すモノです

クォン・ナミ

第3回 「みにくいアヒルの子」と辞書

2025年07月16日

私を身ごもった時、すでに3人の娘とひとりの息子がいた母は、占い師の元を訪れ、おなかの子の性別を尋ねたという。すると、「いずれ親を養う立派な男の子でしょう」とのお言葉。母は喜び勇んで出産に臨んだが、生まれてきたのはこの私、女の子だった。期待を裏切るように生まれてきた私は、初めからどこか歓迎されていない、曖昧な空気に包まれていた。追い打ちをかけるように、年子で弟が生まれた。私はすっかり、“みにくいアヒルの子”になってしまった。

韓国には、「泣く子に乳をやる」ということわざがある。私はあまりに手のかからない子どもだったらしく、泣いたり騒いだりすることも、ほとんどなかったそうだ。幼い頃、父が「ナミみたいな子なら、10人育てても平気だ」と言っていたのを覚えている。ほとんど会話らしい会話を交わしたことはなかったけれど、ちゃんと私のことを“いい子”だと分かってくれているんだなと思い、心の中でそっとうれしくなった。
晩年、父が亡くなる間際にも、「ナミのように優しい子はいない」と言ってくれた。

5歳の頃、私は学校に通う兄や姉を横目に、ひとりでハングルを覚えた。文字が読めるようになった途端、世界が読むものであふれていることに気がついた。街に並ぶ看板の文字も、張り紙のひと言さえも、すべてが私に話しかけてくるようだった。活字という友達ができたおかげで、私はもう寂しくなかった。ある家の門に貼られていた「月極下宿あり」や「犬に注意」といった張り紙でさえ、面白く感じた。 

小学校に入ってからは、学校の図書室の本を夢中になって読んだ。なかでもいちばん好きだったのは、国語辞典だった。子ども向けの辞書は字も大きく、それほど分厚くもないけれど、どこまで読んでも終わりがなかった。ある単語を引いて、その説明に出てきた別の単語をまた引いて……。私にとって辞書は、これ以上ないひとり遊びの道具だった。

その後、大学では日本語を専攻し、今度は日本語の辞書がそばにやってきた。最初に出会ったのは『新明解国語辞典』。私はもう“みにくいアヒルの子”でもなく、ひとりぼっちでもなくなっていたけれど、辞書は相変わらず面白かった。新しい言葉を覚えるたび、心が弾んだ。

文章を書くのも辞書を引くのも好きだった私にとって、自然な流れだったのかもしれないが、私は日本文学の翻訳者になった。学生時代とは違い、翻訳という実務に向き合う中で、用途ごとにさまざまな辞書が必要になった。古本屋で見つけた『広辞苑』は、何よりも頼もしい味方だった。『カタカナ語辞典』や『日本語 漢字よみかた辞典』なども、私の翻訳初期を支えてくれた三種の神器だった。

ところが、いつしか紙の辞書を開くことは少なくなった。電子辞書が現れ、言葉を探す時間は一瞬になった。便利さに流されて、ページをめくる感触や紙の匂いも、少しずつ遠のいていった。そのうち、電子辞書さえ姿を消し、検索すれば何でも分かる時代になった。本棚に並ぶ『広辞苑』をはじめとした辞書たちは、机の上に下ろされないまま、もう10年以上もたっている。年末の大掃除のたびに「そろそろ処分しようか」と悩んだこともあったけれど、他の本は手放せても、辞書だけはどうしても捨てられなかった。

忘れかけていた辞書への情熱が、ふたたび燃え上がったのは昨年のことだった。小学館が編んだ『日本語新辞典』をいただいたのだ。絶版になっていたものを、わざわざ探し出してくださったと聞き、胸がいっぱいになった。大きすぎず、小さすぎず、開くのにもちょうどいいサイズ。ノートパソコンの隣にそっと置いて、ふとしたときに気になる言葉を引いてみる。そうしてページをめくっていると、いつのまにか翻訳を始めたばかりの頃の、あの背筋が伸びるような気持ちがよみがえってきた。

ちょうど、小川糸さんの『椿ノ恋文』を訳していた時期だった。「ヒモダン、たつか?」というセリフが出てきた。大人なら誰でも意味がわかるようなフレーズではあるけれど、私はちょっとした遊び心から、紙の辞書で「たつ」を引いてみた。いくつかの意味の中に、「あ、これだ」と思えるものがあった。「細長いものが下から上へとまっすぐ伸びる」。
ところがそのすぐ下にあった用例を見て、思わず吹き出してしまった。「村のはずれに立っている一本杉」——なんとも健全な例文。自分のエッチな妄想に、苦笑いしてしまった。辞書って、最後のピリオドまで油断できない。

今日も紙の辞書を開く。きっと私は、人生のピリオドまで、その重みとともに歩んでいくのだろう。

文 クォン・ナミ


クォン・ナミ
韓国を代表する日本文学の翻訳家。エッセイスト。1966年生まれ。20代中頃から翻訳の仕事を始め、30年間に300冊以上の作品を担当。数多くの日本作家の作品を翻訳し、なかでも村上春樹のエッセイ、小川糸、益田ミリの作品は韓国で最も多く訳した。著書に『スターバックス日記』『面倒だけど、幸せになってみようか』など。日本語版が刊行されているものに『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』がある。