反復横跳び、ときどき休憩
第6回 変なことば
2025年09月10日

先日、健康診断を受けた。健康診断には検尿がつきものだ。検査の一週間前に送られてきた封筒には、当日の朝、尿を採取するための検尿キットが入っている。プラスチックの折りたたみカップと、名前を書いて貼るためのラベル、そして提出のために使うふた付きの透明な容器。チャックがついた小さな袋にそれらがまとめられていて、検尿の手順は、同封された緑の紙に書かれている。
〈尿検査〉
○ご提出前3時間以内に採取して下さい。
○出だしの尿は避けて、中間尿をコップに採って下さい。
○コップに採った尿を指定の容器の九分目まで入れ、ご提出下さい。
私は毎回、この紙をじっと見つめてしまう。ここでしか出会わない言葉が書かれているから。そう。「中間尿」だ。このワードに、いつも釘付けになってしまう。
「中間」を辞書で引いてみる。私の愛用する『新明解国語辞典(第八版)』には、こう書かれている。
ちゅうかん【中間】①二つの物の間に(で)あること。②特徴がはっきりせず、対立するいずれにも入れ兼ねること。③ある期間の途中。
中間尿の中間は、おそらく③だろう。中間尿、という言葉のすごいところは、そこに時間の感覚が持ち込まれていることだ。日常生活でトイレに行くとき、尿が体内から外に出るまで、尿の「時間」や「状況」をリアルタイムで意識し続けることは、あまりない。少なくとも私は、その尿が「始まり」なのか「中間」なのか「終わり」なのかを、リアルタイムで実況していることはあまりない。というかほとんどない。私は健康診断の案内で、この「中間尿」という言葉を見るたびに、そうか、おしっこをする時間にも中間が存在するのか、と、日常にある事象の認識の解像度がぐっと上がり、鮮明になっていくような不思議な感覚に陥るのだ。医療関係者だったら当たり前かもしれない言葉が、専門用語の畑から飛び出して私のところにやってくるとき、言葉の珍しさによってちょっぴり見えている景色が変容することを、とても面白いなあと思う。
中間尿があるなら、始まりと終わりの尿はなんと呼ぶのだろう。冒頭尿? 終焉尿? 存在しないかもしれない言葉にあれこれと思いをはせてしまう。
このような馴染みのない「変なことば」に出会うと、私はいつも二度見して、そのおかしさに夢中になってしまう。
世間にある言葉は、校正・校閲をくぐり抜けた言葉と、そうでない言葉に分けられる。「中間尿」は、医療の世界で必要があって生まれた言葉だから前者なのだが、後者の「校正・校閲を経ていない言葉」というのも、またなかなか面白い。それが特に発見できるのは、銭湯の張り紙だ。
先日訪れた銭湯に、白いお湯の浴槽があった。近づいてみると、スタッフが作ったのだろう、ラミネート加工された案内の表示が壁に貼られていた。「シルク湯」と書いてある。お湯に触れて温度を確かめて、ゆっくり湯船に浸かりながら、その下に書かれた説明文を読む。字が大きい。
シルク湯
超微細な泡がシルクのような乳白色のお湯に。
毛穴の奥の汚れをスッキリ取り除き、
マイナスイオンとマッサージ効果で
心も身体もじんわりリラックス。
・お肌すべすべ
・リフレッシュ効果
・やさしい癒やしの時間
へえ、泡が細かいから白く見えるのか。とうなずきながら最後まで読んでいると、一番下に、ものすごく小さい黄色の文字で、もう一文注意書きがあった。かすれていて読めないので、近づいてみる。
※段差があります ご注意ください
こういうとき、ああ、きたきた、これだよこれ! と私は静かに興奮してしまう。「段差があります」の注意書きは、効果・効能の説明よりも前に、大きく、はっきりと、書くべきなのだ。こんなところに視認性の悪い色で、小さく書かれていても気付けないのだ。現にほら、もう私は湯船に浸かってしまっている。
大きな企業が関わっている文章であれば、多くの場合、校正・校閲の存在があるので、こういった「伝えたいのにうまく伝わらない」ということが発生しづらい。銭湯や、個人経営の飲食店などの張り紙に、こういった独自のルールに基づいた文章は発見できる。私はこういう張り紙が大好きだ。書いた人の気持ちや試行錯誤、迷いが浮かび上がってくるように思える。
最後に、とある団地で見かけた看板の言葉も紹介したい。
めいわくですからボクたち団地にはすめません。
団地では犬や猫は飼わない約束になっています。
共同生活のルールを守りましょう。
看板には犬と猫のイラストが描かれている。
私はこの看板を見るたびに、主語がおかしい! どうなっとんじゃい! と叫びたくなる。
「迷惑」だと思っているのは人間の方で、犬や猫自身は、自分たちが「迷惑」だなんて思っていない。でも団地で動物を飼ってはいけないということを住民に伝えるために、この看板を作った人は犬と猫に代弁させている。メッセージのために、犬や猫の気持ちをねじ曲げているのだ。なんと姑息な、と思ってしまう。私は歌人として、自分の本当の気持ちをどれだけ本当に近い形で表現できるかをいつも考えている。だから思ってもいないことを言わされている犬と猫の存在が、不憫でならない。
街の中にあるさまざまな言葉に、私はハッと心を奪われている。何かを伝えようと苦心した結果、さまざまな表現が生まれている。今日も団地のそばを歩きながら、代わりの看板を立てるとしたら、どういうメッセージにすべきだろうかと、私はひとり悶々と考えている。
文 岡本真帆
岡本真帆(おかもとまほ)
歌人、作家。1989年生まれ。高知県出身。SNSに投稿した短歌「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」が話題となり、2022年に第一歌集『水上バス浅草行き』を刊行。ほかの著書に『あかるい花束』『落雷と祝福 「好き」に生かされる短歌とエッセイ』。東京と高知の二拠点生活、会社員と歌人の兼業生活を送るなかで気づいた日々のあれこれを綴る。
