反復横跳び、ときどき休憩
第7回 荷造りRTA
2025年10月08日

「帰るまでが遠足」という言葉がある。ならば「荷造りからが旅」という人がいてもいいのかもしれない。でも私にとって荷造りは、旅にくっついてくる一番やっかいな工程だ。
旅そのものは好きだ。移動も好きだ。飛行機や電車に乗って、窓の外の景色が変わっていくのを見るだけで、気持ちが軽くなる。けれど、その入り口にある「荷造り」はどうしてこんなに気が重いんだろう。
理由は、はっきりしている。私はあらゆる可能性について考えすぎてしまうのだ。雨が降ったらどうしよう。冷房が強すぎたら困るな。たくさん歩くならスニーカーがいいけれど、このワンピースには似合わないから……頭の中でシミュレーションを始めると、すべての不快を排除したくなって、どんどん荷物が増えていく。私は「数日前から着る服を決めておく」なんて芸当ができない。気分はいつだって変わるものだからだ。旅先でも選ぶ楽しさを残しておきたい。そんな気持ちから、旅行中の服にも選択の余地を持たせてしまう。だから直前まで決めないし、決められない。
そんなわけで、私は毎回出発当日の朝にスーツケースを開いて荷造りを始める。こんなことを言うと、家族や友人は悲鳴を上げる。ちょっと待って。当日の朝!? せめて前夜には荷造りしようよ。あと寝坊したらどうするの。非難囂々(ごうごう)で、いろんな声が聞こえてくる。私だって前夜のうちに荷造りできたらいいなあと、思うよ! 思うのだ。でも、「荷造りいやだな〜」とぐずぐずしている間に睡魔に襲われ、「もういいや今日は寝よう」と布団に潜り込む方へと舵を切ってしまう。幸い、私は朝に強い。だから絶対に寝坊はしない。早く寝て、早く起きて、もう後がない状況に自分を追い込めばいい。そうなれば、ちゃんと荷造りを始められる。追い詰められた私をなめてもらっては困る。
さて、いよいよ出発の朝。時刻は5時だったり6時だったり、早朝であることが多い。残り時間から逆算して、どれだけ早く詰められるかのゲームが始まる。自分だけのリアルタイムアタック——荷造りRTAだ。布団の中で嫌がりながら考えた、必要なもののリストが頭の中にある。下着、靴下、化粧品、充電器。絶対に必要なものをスーツケースの内側に集め、時計をちらちら確認しながら「次の5分で服をまとめる」「着替えが終わったら化粧して」「ゴミは出発の15分前には出しに行く」と手際良く整えていく。持って行くかどうか迷ったら、基本持って行く。持ってくればよかった、という後悔だけは避けたいのだ。そうやって新幹線や飛行機の時間に間に合うように家を出て、電車に乗る。電車が遅延する可能性もあるから、本当に安心するのは東京駅や羽田空港に着いた瞬間だ。それまではずっと心臓が早鐘を打っている。
そんな綱渡りのような荷造りRTAは、だいたいうまくいっていた。だが、失敗したこともある。ある朝。5時に起床した私はすがすがしい朝の空気を吸い込んで、なぜか優雅に部屋の掃除を始めてしまった。しばらく留守にするから、しっかり片付けもしておこう。そんなふうに、本棚を整えたり、シンクを磨いたり、いつものプラスアルファの掃除に熱中しているうちに、気付いたら出発ギリギリの時間になっていた。
慌てて荷物を抱えて部屋を出て、電車には乗れたものの、どう考えても間に合わない。飛行機の離陸時刻には間に合っても、5分、保安検査場の締切時刻に間に合わないのだ。中央線の快速電車はよく揺れる。ぐわんぐわんと左右に揺さぶられながら、スマホで必死に「例外」を検索したが、どうにもならないらしい。でも不思議と落ち着いていた。離陸前にキャンセルすれば、航空券代の50%は戻ってくるらしい。結構戻ってくるな、と思った。うれしい。私は自分でも拍子抜けするほどあっさりと、陸路のプランに切り替えた。それから8時間半かけて、高知県西部の地元まで帰った。
一度失敗したことがあっても、大きくやらかしたとは思っていないのが不思議だ。きっと旅に出たことの解放感が、後悔を上回ってしまうのだと思う。いろんな可能性を考えすぎて疲れた荷造りも、旅が始まれば、今ある荷物で結局なんとかできてしまう。だから私は、これからもきっと荷造りRTAを続けていくだろう。
荷造りは嫌い。でも荷造りは避けられない。クラウドに書類を保存できるのだから、物理的な荷物もアップロードできたらいいのにと、ばかなことまで考える。スーツケースもダンボールも仮想空間に置けたら、どれだけ楽だろう。ドラえもんの「四次元ポケット」があったら、そこにぽいぽい荷物を入れておくのに。けれどそんな便利なものがあったら、荷造りで頭を抱えたり、スーツケースを転がして移動したりする時間そのものが消えてしまうのかもしれない。それはちょっと寂しい気がする。不便さに文句を言いながらも、そのドタバタも含めて旅なのだ。
帰るまでが遠足。荷造りからが旅。今日もまた、荷造りのタイムアタックをしながら、旅を楽しんでいる。
文 岡本真帆
岡本真帆(おかもとまほ)
歌人、作家。1989年生まれ。高知県出身。SNSに投稿した短歌「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」が話題となり、2022年に第一歌集『水上バス浅草行き』を刊行。ほかの著書に『あかるい花束』『落雷と祝福 「好き」に生かされる短歌とエッセイ』。東京と高知の二拠点生活、会社員と歌人の兼業生活を送るなかで気づいた日々のあれこれを綴る。
