反復横跳び、ときどき休憩

岡本真帆

第11回 俺があたしで、あたしが俺で

2026年02月11日

私、あたし、僕、俺、自分。日本語の一人称は、まるでクローゼットの洋服のようだと思う。その場の空気や気分に合わせて、いまの自分にいちばんしっくりくるものを選び取る。日本語は、他の言語と比べると一人称の種類がかなり豊富な言語だそうだ。
私は文章を書くとき、「私」もしくはひらがなの「わたし」を使うことが多い。けれど短歌では、「あたし」や「僕」、「俺」など、いくつもの一人称を使い分けている。

  ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし

この歌はSNSでさまざまな方が話題にしてくれたこともあり、私の代表歌の一つとなった。この短歌しか知らない方は、岡本真帆はまさにこの短歌のような人物で、傘がたくさんあって、普段から「あたし」を使っていると想像しているのかもしれない。実際はそうではなく、傘は増えたり減ったりしているし(意識して減らしているから1本しかないときもある。どうしてか、たくさんある日も、ある……)、書き言葉の一人称で「あたし」はほとんど使わない。

  着膨れの征夷大将軍ゆくよ 俺の家には生牡蠣がある

これも私の作った短歌で、第二歌集『あかるい花束』に収録されているものだ。毎年年末になると、家族の友人が実家に生牡蠣を送ってくれる。届いた発泡スチロールの中を確かめて散歩にでかけたとき、浮き足立ちながら作った歌である。私は生牡蠣が大好きだ。あたってしまいノロウイルスの食中毒になったことが何度かあるけれど、時間がたてば、それを忘れてまた純粋に食べたくなってしまう。

もこもこのダウンを着て、冬の冷気を切るように歩く。家に生牡蠣があるという事実が、私を一回りも二回りも大きく、立派に見せていた。だから私は征夷大将軍だったし、この気分にいちばん似合う一人称は「俺」だった。

傘の歌の「あたし」と、生牡蠣の歌の「俺」は、まったく別の人物のように思えるかもしれない。作者が同じだとは一読して分からないだろう。けれども私にとって短歌を作ることは、自分のささいな感情の揺れを見つめて言葉にしていく行為で、その最中に自分でも意外だと思うような自分に出会うことがある。「あたし」も「俺」も私の普段使いの一人称ではないが、親しい人と話すとき、実は私が発話しているのはほとんど「あたし」の響きだし、生牡蠣が届いたことで征夷大将軍になった日のように、「俺」がぴったりのときもある。

日本語に一人称が複数あるのは、それが単なる自分を指す記号ではなく、その時々の自分が何者であるかを示してみせる言葉だからなのだと思う。英語の「I」が、どんな場面でも変わらない自分を指すのだとしたら、日本語の一人称は、その日の気分や空気、関係性に合わせて適切に選び直される。

「あたし」という響きには、どこか親密で、肩の力が抜けた、無防備な生活感のニュアンスが宿る。一方で「俺」を選んだとき、世界に対して強気な、あるいは独立した個としての境界線が生まれる気がする。
私が短歌の中で一人称を使い分けるのは、嘘をついているのではない。自分の中に眠っているいくつもの私に、ふさわしい衣装を着せているだけなのだ。

ところで、私には、一人称にまつわる強烈な思い出がある。

幼稚園の年中さんの頃、私は一人称「あたし」を愛用していた。ある日、砂場で遊んでいると、同じクラスの女の子がむっとした顔で言った。
「まほちゃん、『あたし』って使うのはおかしいよ。『わたし』がただしいよ」

私は、ふざけているのだと思って、にこにこしながら返した。

「そんなことないよ! 『あたし』でもいいんだもん」

当時の私は、「わたし」も「あたし」も、どちらも間違いではないことを知っていた。むしろ、なるべく「あたし」と言いたかった。大好きだった『美少女戦士セーラームーン』に出てくる戦士たちのように、「あたし」と言えば、強くて、かわいいお姉さんになれるような気がしていたのだ。

「違うよ『わたし』じゃなきゃだめだよ!」

友達は引き下がらない。あ、そうか。そういうじゃれ合いなのかな、と思った。

「『あたし』でもいいんだもーん」
「『わたし』だよ!」

友達が作りかけの泥団子を置いて、立ち上がって言う。彼女は仁王立ちになって、拳を握りしめていた。

「『あたし』!」

私もスコップを置いて、同じように立ち上がり、無邪気に言い返した。

「『わたし』!」
「『あたし』!」
「『わたし』!」
「『あたし』!」

互いの言葉の間隔が、どんどん短くなっていって、まるで息の合った餅つきのように繰り返されていく。その最中、突然胸の辺りに強い衝撃が走って、気付けば私は砂場にひっくり返っていた。友達が私を力強く押し飛ばして、私は1メートルほど後ろに吹っ飛んでいた。
呆然と空を見つめながら、幼稚園って、結構ワイルドなところだぞ、と思った。
一人称を巡ってけんかをしたのは、後にも先にもこれが最後だった。

文 岡本真帆


岡本真帆(おかもとまほ)
歌人、作家。1989年生まれ。高知県出身。SNSに投稿した短歌「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」が話題となり、2022年に第一歌集『水上バス浅草行き』を刊行。ほかの著書に『あかるい花束』『落雷と祝福 「好き」に生かされる短歌とエッセイ』。東京と高知の二拠点生活、会社員と歌人の兼業生活を送るなかで気づいた日々のあれこれを綴る。