反復横跳び、ときどき休憩

岡本真帆

第14回 百年の独り遊び

2026年05月13日

「金を持ちすぎると何の物件を買ったかも認識しなくなるし、多少稼いでも損しても感情が動かなくなる。喜びとは具体的なものの変化を感じ取れることで、ここまで来ると未体験の規模のことでしか喜べなくなるのでしょう」

いいねの通知が届き、思わずスマホを二度見した。これは2024年の私がXに投稿したポストである。何を言っているんだ。ぜんぜん幸せそうじゃないお金持ちみたいなことを言っている。誰? 私? その投稿の続きを読んで、ようやく何のことか理解した。
「あとは鉄道会社を買い占めて桃太郎ランド買収しか楽しみがないよ」
「桃鉄」の話だ。そう、これは現実ではなく、ゲームの話なのだ。

桃鉄の愛称で知られる「桃太郎電鉄シリーズ」は、鉄道会社の運営をモチーフにした家庭用ゲームシリーズである。ボードゲームのようにサイコロを振り、都度変わっていく目的地を目指しながら、全国の物件を購入して資金を増やしていく。
私は2020年に発売されたNintendo Switchのソフト『桃太郎電鉄 〜昭和 平成 令和も定番!〜』を持っている。発売当時ダウンロードしたものの友人と1〜2回遊んだきりで、本格的にやりこむことはせず、そのままゲーム機の中で眠らせていた。
桃鉄には、「みんなで遊ぶ」モードと、「ひとりで遊ぶ」モードがある。桃鉄はパーティーゲームで、私は家族や友人とワイワイ遊ぶためのものだと思っていたので、「ひとりで遊ぶ」がある意味がよく分かっていなかった。
桃鉄を購入したのは初めてだった。ゲーム実況の動画で見たことはあるけれど、自分で遊んだことはなく、パーティーゲームといえば、一番なじみがあったのは「マリオパーティ」シリーズだった。こちらもボードゲーム形式のゲームで、マリオやルイージなどのキャラクターを選択して、さまざまなミニゲームを通じてコインを奪い合う形式は比較的平和だ。そのイメージがあったから、なおさら、どうして「ひとりで遊ぶ」モードがあるのだろう、と思っていた。

だが、一昨年、久々に友人と桃鉄をプレイする機会があり、桃鉄のシビアさを理解した。
桃鉄は、ランダムで決まる目的地を随時目指すのだが、一番目的地から遠い人に、貧乏神というキャラクターがとりつく。つきまとわれている間は所持金を勝手に使われたり、減らされたりする。そのままにしていると貧乏神がキングボンビーに変身し、所有物件を失わされたり、多額の借金を背負わされたりするので、貧乏神を自分から切り離すために目的地への到着を目指したり、他のプレイヤーのいるマスを通過してなすりつけたりする。それまで圧倒的1位でゲームを進めていたとしても、キングボンビーがとりつくことですべてが水泡に帰すこともある。だからみんなたくさんのサイコロを振れるカードを使ったり、他の人の強いカードを奪ったり捨てさせたりするお邪魔系カードを使って、自分に貧乏神がとりつかないように、なんとか避けられるようにゲームを進めていく。

貧乏神の存在があるから、桃鉄にはドラマが生まれる。同じスタートラインに立っていたはずなのに、この仕組みによって取り返しがつかないほど差が大きく広がっていく。最下位から絶対に抜け出せないほど差をつけられることもあり、そうなると、誰かを引きずり下ろすことでしか、地獄を脱せない。桃鉄は「友情崩壊ゲーム」と言われることがあり、勝つためには貧乏神をなんとか避けなければならないが、それは誰かをおとしめることとイコールになってしまう。私はそれが厄介だなあと気づいた。

勝っているときは、本当に気分が良い。目的地に到着すると多額の報酬金がもらえるので、どんどん全国の物件を購入することができる。物件は資産になるので、年度末の決算で、さらに現金が増えていく。物件を増やすことでお金が増えていく気持ちよさが味わえるのだ。この楽しさを満喫したい。でも、それは生身の人間とプレイする際にはうまくいかない。誰かと遊んでいるときは、多少遠慮が出るというか、私の場合「この人をおとしめたくない」「人としてあまりにもひどいことはしたくない」という気持ちが、勝利しようとする気持ちにブレーキをかけてしまうのだ。たかがゲームの話なのに、タイミングを間違えれば、現実の信頼関係にも亀裂を生んでしまうかもしれない。そのときに初めて理解したのだ。「ひとりで遊ぶ」がある理由を。ひとりで遊べば、何も気にせずに億万長者が目指せる。

私は競争が好きではない。これまで短歌賞や文学賞にはほとんど参加したことがない。1位や優勝には憧れるけれど、そのために他者を意識して対策したり、競い合ったりすることは苦手に思えてしまうのだ。そうではなく、自分にできることをコツコツと積み上げたい。そうやって自分にとっての理想に辿り着きたいと思っている。

今、久々に始めたひとりモードの桃鉄は、年数を100年に設定した。100年間で、どれだけの資産を得られるか競い合う。桃鉄で必要なのは、勝とうとすることではなく、負けないようにすることかもしれないと気づいてから、1位を目指すのではなく、貧乏神が自分に絶対にとりつかないことを意識して動くようになった。そのためにCPUから逃げられるカードを複数持ち、万が一、貧乏神をなすりつけられてしまっても、カードを駆使してなるべく最短で引き剝がす。貧乏神がつかなければ、多額の借金を突然背負わされることはない。そうやって負けないように動いているうちに、CPU同士で最下位争いが始まり、気づけば私は全国の物件をすべて購入し、鉄道会社もすべて買い占めていた。念願だったもっとも高額な物件、桃太郎ランドも購入し、全国を制覇してしまったのだ。現在94年目、残り6年。やることが一つもなくなってしまった。

あと6年。たくさんのお金を持っているのに、使い道がない。もはや目的地に向かう情熱すら失い、ただ惰性でサイコロを振る私。かつての投稿で「未体験の規模のことでしか喜べなくなる」と書いた自分に、今の私は深く頷いている。全国制覇の瞬間はうれしかった。けれどもすべてを手に入れた今は、本当に、これっぽっちもワクワクしないのだ。
たかがゲーム、かもしれない。でも、この100年が終わったら、また次の100年を始めてみたいと思う。何度繰り返してもやはり同じ自分と向き合うことになるのか、知りたいのだ。

文 岡本真帆


岡本真帆(おかもとまほ)
歌人、作家。1989年生まれ。高知県出身。SNSに投稿した短歌「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」が話題となり、2022年に第一歌集『水上バス浅草行き』を刊行。ほかの著書に『あかるい花束』『落雷と祝福 「好き」に生かされる短歌とエッセイ』。東京と高知の二拠点生活、会社員と歌人の兼業生活を送るなかで気づいた日々のあれこれを綴る。