森のアトリエ雑記
第5回 森でのひとりの時間 街でのみんなとの時間
2025年07月23日

静かな森の中のアトリエで、誰にも干渉されず、脚本や絵コンテを執筆する。そうしてひとりで書き上げたものを、人がたくさんいる劇場やスタジオに持っていき、みんなで完成させて発表する。森で育てたものを、街に売りにいく。これが今の僕の働き方です。
打ち合わせなどで複数の人と会って、その後ひとりの時間がくると、顔面が疲れているのがわかります。やはり人とのコミュニケーションには、表情筋をよく使っているんですね。つくり笑いしてるつもりはないんだけど……、いや、してるときもあるかな。特に初対面だったり、まだあまり親しくない人の場合は、相手を緊張させないためにも笑顔でありたいと思っています。
僕、社交的じゃないくせに、コミュニケーションがそこそこうまいんです。どのくらいうまいかというと、学生時代からの知り合いに「コミュニケーションお化け」と呼ばれたくらい。でも本当は違うんです。正確には、うまいふりがうまい、ということなんです。だから人と会うとすごく疲れるし、心の中では「早くひとりになりたい」と思っていることもあります。
世の中は、やれコミュニティーだの人脈だのと、人と人とを繋げようとしてきますね。僕は、これに乗っかれません。できれば、誰とも連絡先を交換したくない。誰も紹介してほしくないし、誰にも紹介されたくない。理由は、ひとりの時間を守りたいからです。
だからと言って、「いまわしき人間どもめ」なんて思ってないんですよ。こんな僕にも、大好きな人たちがいます。スタッフの皆さん、俳優の皆さん、観客の皆さん。皆さんのおかげで、僕は作品をつくることができています。生きていられます。皆さんを一列に並べて、ひとりずつお菓子を渡したいくらいです。 そんな大好きな皆さんと一緒に過ごす、稽古場や、スタジオや、劇場での時間は、本当に楽しいです。そして、その後にまた訪れる、ひとりの時間。
「あー、疲れた」
……ってなります。そうなんです。大好きな人たちと会った後にも、やっぱり疲れは出るんです。つまり、人に疲れるということに、相手を好きかどうかとか、初対面か否かとかは関係ないんですね。人と会うときには、相手が誰であろうと、必要な緊張感を持ってコミュニケーションをとっている、ということなんだと思います。

創作って、自意識が働いていない状態が大事なんです。だから、ひとりでいる時間に執筆するんです。誰かといると、どうしても気を遣ってしまいます。ひとりでいれば、完全にわがままに、自分のペースでいられます。ものすごい集中力で黙々と執筆するもよし、わざと「ながら」でやるもよし、気まぐれに掃除なんか始めてみるもよし。唐突に唄って踊るもよし。寝るもよし。外的要因で拘束されていない自由な時間。そんな裸の自分から生まれてくる創作衝動を、大切にしたいと思っています。いえ、裸というのはあれですよ、「自然な」っていう意味の例えですよ。なんか着てますよ。とて、裸でもよし。
「自意識が働いていない」と書きましたが、それはあくまでも「場」としての話であって、
やっぱり創作の根底には「誰かに褒められたい」という自意識が並走していると思います。誰かに褒められたくて、ひとりで頑張る。こういう関係。
森のアトリエにいるとき、とんでもなく無音になることがあります。虫も鳥も鳴かず、風もなく木々も黙り込む。自分の心臓の音が聞こえるんじゃないかってくらいの静けさ。それでも、さほど孤独は感じません。理由は、たぶんふたつ。ひとつは、どんなに無音でも、頭の中では大量の言葉や映像がブワーッと騒いでいるから。僕は脚本を書きながら、自分が書いたセリフが面白くて、声を出して笑うことがあります。モニタリングしたら、さぞ気持ち悪いことでしょう。僕、もう、妖怪でいいや。そして、寂しくないもうひとつの理由。それは、今ここで生み出す作品が、いつか誰かの笑い声になると知っているから。ひとりの時間は、みんなとの時間のためにあると知っているから。
ひとりの時間は、みんなとの時間のため。これね、逆も言えるんです。みんなとの時間は、ひとりの時間のため。アイデアとかって、「降りてくる」とか「湧いてくる」って表現されますけど、本当になにもないところから降りてきたり湧いてきたりはしないんです。では、なにが発想のタネになるのか。それが、人とのコミュニケーションだったりするんです。人間観察は、創作のヒントになります。
「この人は、よくこういうものの言い方をするな」
「それって、こういう思考のクセがあるからだよな」
「そうなったのには、こういう原因が考えられるな」
「これ、人間の面白いところだな」
「よし、この原理を使って会話を書いてみよう!」
とかね。
さらに、俳優との会話は、観客に伝わるセリフを書く上で、とても役に立ちます。今、新しいコント公演の準備中で、日々楽しく稽古をしています。稽古の合間には、休憩がてら、ちょっと雑談タイムがあります。雑談は、セリフではなく俳優ご本人の言葉として発せられた声です。これを後から、頭の中で何度も再生します。その人の持つ、発語の抑揚や、言い方のクセなどを捉えて、セリフを書くんです。そうすると、より活きたセリフになります。台本に書いてあったこととしてではなく、あたかもその俳優本人から出ている心からの言葉に聞こえるようにしたいんです。これがうまくいってるセリフは、観客の体の中に、水のように入っていくんです。
僕にとっての幸いは、僕が作品をつくることで、誰かが楽しい気持ちになってくれること。それは、「ひとりの時間」と「みんなとの時間」の、両方があるから成し得ることです。今僕は、この文章を森のアトリエで書いています。このひとりの時間も、これを読んでくれる誰かがいてくれるからこそ。読んでくださってありがとうございます。あなたの時間を、ありがとうございます。
つづく
絵と文 小林賢太郎
小林賢太郎(こばやしけんたろう)
1973年生まれ。横浜市出身。多摩美術大学卒。脚本家・演出家。コントや演劇の舞台作品、映像作品、出版など。2016年からアトリエを森の中に構えて創作活動をしている。
