反復横跳び、ときどき休憩

岡本真帆

第9回 ちょうどいい熊手

2025年12月10日

熊手がほしい! と思った。落ち葉をかき集める道具の方の熊手じゃない。縁起物の熊手の方である。
とある作家さんが、浅草の酉の市で毎年熊手を買っていて、その熊手を少しずつ大きくしていくうちに、仕事の規模も大きくなっていったという話を耳にした。より大きな福が訪れるようにと、毎年、一回り大きなものに買い替えるのが習わしらしい。
私は熊手の文化を知らなかったのだが、このとき初めて詳細を聞いて、猛烈に惹かれた。もともと験担ぎのようなものは割と好きなのだが、毎年大きくしていく、というのがいいなと思った。その人が持つ運や勢いのようなものは、目に見えない。でも熊手という縁起物が、見えない良い流れを形にしてくれる気がした。その場では「あまりに大きくなりすぎて、このまま大きくし続けると飾れなくなる。来年どうしようかと困っている」という話も聞いた。それも大変そうだけど、やっぱりいいなとワクワクする。育てているポケモンが進化していくみたいで面白い。毎年ちょっと大きなサイズに替わっていくのは、見ていてテンションが上がりそうだ。この時点では「酉の市」というのは浅草の一角に存在するマーケットのようなものだと思っていて、熊手はいつでも買えるものなのだと勘違いしていたから、いつか浅草に買いに行くぞ〜とウキウキしていた。

先月のこと。SNSで「熊手を買いに行けなかった……」と嘆く知人の投稿を見かけて、急にピンと来てしまった。もしかして……酉の市はいつでも開かれているわけでは、ない……? 私は慌てて酉の市と熊手について調べた。すると、酉の市は毎年11月に2〜3回だけ開催される行事であり、いつでも行けるものではないこと、そしてその投稿を見たのは「一の酉」の翌日で、今年の酉の市は「二の酉」までしかないことも分かった。つまり今年のチャンスはあと1回。さらに調べると、浅草限定の催しではないことも判明。新宿の花園神社、府中の大國魂(おおくにたま)神社でも大規模な酉の市が開かれていることが分かった。今年引っ越しをした私は、府中へのアクセスが良くなっていた。これはもう、二の酉に大國魂神社へ行くしかない。

二の酉が開かれる祝日の朝、大國魂神社へ向かった。よく晴れており、朝の凜とした空気が気持ちよかった。早い時間だというのに境内はすでに大にぎわいで、熊手を求める人々の熱気が満ちている。かすかに寒い空気のなかで、威勢のいい手締めの声が響き渡っていた。熊手の店はどこもきらびやかで、一つ一つ、見比べながらじっくり歩いた。手のひらサイズの小さな熊手から、升の上に縁起物が乗った置き型の中くらいのもの、たくさんの縁起物が詰め込まれた身長よりもずっと大きな熊手まで、バラエティーに富んで彩り豊か。見ているだけでも楽しくなってくる。値札は付いていないので、いったいそれぞれがいくらくらいなのか分からない。熊手を手に取り眺めながら、お客さんが渡すお札の数を横目に見て、なんとなく相場を把握していった。

しかしなかなかこれだ、というものに出合えない。どうしようか、ひとまず、一番小さいサイズを買ってよしとすべきか……と迷っているところで、一つの熊手が私の目に飛び込んできた。それは置き型の熊手で、土台となる升の中に、小槌や小判、紅白の飾りがぎゅうぎゅうに詰まっている。「寿」と書かれた銀のプレートが舟の帆のように一番奥に立っていて、私は、その手前、中央にどんと構えた招き猫に目を奪われた。
白い体の胸元に、緑色の絵筆で大きく「福」と書かれた猫が、鯛の上にどしんと乗り、片手には千両箱を持っている。姿勢は威風堂々、なのにどこかとぼけた顔で、手作り感のあるユーモラスなタッチに惹かれた。だんだんその表情が、私にはドヤ顔に見えてきて、「福なら任せて」と自信たっぷりにこちらにアピールしているように感じられた。福を呼び寄せるというより、取りに行ってくれそうな猫だ。この猫と一緒なら、この先の一年を面白がりながら過ごせそうな気がした。
もう迷いはなかった。価格を尋ねると、もともとの予算の倍くらいした。でももう関係なかった。この猫と帰る、と決めたのだ。
「初めての熊手なんですが」と伝えると、店の人がうれしそうにうなずいて、「屋号の札を立てましょう」と言ってくれた。「個人名でもいいですか?」と恐る恐る尋ねると、店の人は「もちろん」と言って、白木の札を取り出した。「苗字だけの方もいらっしゃいますし、フルネームにされる方もいます」というので、私は少し考えて、フルネームで名前を入れてもらうことにした。札に名前を入れてもらっている間、自分の熊手が誤って誰かに持っていかれないように、抱きしめるようにして待っていた。
少しして、札が戻ってきた。黒々とした筆文字で、私のフルネームが堂々と書かれている。それが熊手の右端にすっと差し込まれた瞬間、一気に印象が変わった。私だけの熊手に生まれ変わったように見えたのだ。さらに、稲穂と旗が添えられていく。

「明るいところで、神社に向けて掲げてくださいね」
言われるままに、両手で高く掲げると、猫が朝日を受けて、いっそうキメ顔をしているように見えた。
そのあと手締めが始まる。拍子木の音と威勢のいい掛け声が、朝の空気をきっぱりと割る。
なんだか、自分の未来は絶対明るいものになっていくと、太鼓判を押されているような気がした。思わず背筋が伸びた。

問題は、そのあとである。
ドーンと自分のフルネームが掲げられた熊手を胸に抱え、祝日の街を歩いて帰らなければならない。府中の街はますます賑わっていて、福をかき集める前に、視線をかき集めてしまいそうだ。私は自分の名前をさらしながら歩くのが恥ずかしくなって、熊手をそっと抱え直し、札の面が目立たないように自分の方に向けた。倒さないように、そろりそろりと歩きながら、熊手の中央にいる猫を見つめた。

家に着き、仕事部屋の窓の上に飾ることにした。招き猫は相変わらず誇らしげな顔で、最初からここが自分の居場所だったとでも言いたげに鎮座している。予算をはみ出してしまったけれど、この先の一年を、この猫と一緒に面白がりながら過ごせるなら、まあいいかと思う。
熊手は、今原稿を書いている私のことも見守っている。サイズがすごくちょうどいい。これ以上でもこれ以下でもない、今年の私にぴったりだ。
でも来年は、これより少し大きくした方がいいらしい。そのとき、やっぱり私も困るのだろうか。飾る場所はどうしよう、と早くも不安が頭をもたげる。いや、それもきっと、面白い一年の始まりなのだ。

文 岡本真帆


岡本真帆(おかもとまほ)
歌人、作家。1989年生まれ。高知県出身。SNSに投稿した短歌「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」が話題となり、2022年に第一歌集『水上バス浅草行き』を刊行。ほかの著書に『あかるい花束』『落雷と祝福 「好き」に生かされる短歌とエッセイ』。東京と高知の二拠点生活、会社員と歌人の兼業生活を送るなかで気づいた日々のあれこれを綴る。