森のアトリエ雑記
第17回 怪奇、忍び寄るゲソと、鎌を持つ老婆
2026年07月22日

たまには、怖い話でも。
アトリエのある森の奥に、小さなお墓が三つほどあります。百年くらい前からあるものだそうです。アトリエの庭からは、ごくごく限られた角度の、木と木の隙間から、その墓地を見ることができます。
ある天気が良い日、道の駅でパック入りのサンドイッチを買ってきました。庭で食べようと、折りたたみ椅子を適当な場所に置き、よっこらしょと座ったら、ちょうど例の墓地が見えたのです。僕は、なんとなく会釈をしました。
さっきまで「ピーヒョロー」と鳴いていたトンビが、急に無口になって低めに旋回し始めました。あいつら、目がいいです。おちおちサンドイッチも食べていられません。
その日の午後。アトリエで仕事を続けていたのですが……、ずっと何かに、右手を摑まれている感覚があるのです。なんだろうなあ、不思議だなあ、怖いなあ、と思って袖をまくってみると……、僕の手首を摑んでいたのは、サンドイッチのパックをとめてあった輪ゴムでした。
怖い話はまだです。
木の板に絵を描くのが好きです。鉛筆の芯が木にあたる音が、静かなアトリエに心地よく響きます。カッカッカッ、スーッスーッ、ガリガリガリ。熊よけの鈴というのは、自然界にない音を熊が嫌がるから効果があるんだそうです。鉛筆の音は、わりと自然の中に違和感なく馴染んでいるように思います。熊よけにはならなそうです。
それは、黒くて丸くて、人間の子どもくらいの大きさはありました。藪の中からこちらを見ています。ドキッとしました。しかもそいつは、鎌を持っていました。おばあさんでした。このあたりに、熊は出ません。
怖い話はまだです。
森にいて怖いのは、お墓でも熊でもおばあさんでもないのです。怖いのは……、植物です!
まず、多い。怖いほど多い。山だから当たり前なんですけど。量も多いし、種類も多い。そのぶん、怖さもいろいろです。
ある日、道端に知ってる感じの葉っぱがありました。8センチくらいでフチがギザギザ。僕はシソだと思い、においを嗅ごうと触りました。「っ!」シャープな痛み。その植物の正体は、イラクサ。よく見ると、細かいトゲが無数に生えています。しかも毒があり、2週間くらいは痛かったです。地味だけど、怖いイラクサなのです。ちなみに「イラ」って「植物のトゲ」という意味の言葉らしいです。「イライラする」という言葉は、これに由来するとか。僕が言うと噓みたいですけど。
雨上がりには、決まってアトリエの敷地内に植物のツルが伸びてきます。あまりにも成長が早くて、ものの数時間で先端が移動しているのがわかります。またそいつが、植物なのに緑色とかじゃなくて、ちょっと紫。もはや、動物。触手、いや、ゲソ。摑まるところを求めて、にゅるにゅると忍びよるゲソ。エアコンのダクトなどをとらえようものなら、がっちり絡みついて離さない。黙って確実に実行してくる感じが怖い。森の中には、このツル植物に飲み込まれてしまっている木もあります。調べてみたらどうやら日本の固有種ではないらしくて、侵略的外来種ワースト100に選定されているそうです。怖い怖い。

アトリエの建物に覆いかぶさるように、何本かの木が伸びていました。近所の造園屋さんと相談して、剪定をすることになりました。大きな木って、けっこうダイナミックにでかい枝が落ちてくることがあるんですよ。
ベテランの職人さんによる、クレーンでの高所作業。僕はその様子を見ていて、木に対して、少し申し訳ない気持ちになりました。「人間の都合でごめんよ」と。ですが、なんのなんの。その後、木の断面からは何本もの新しい芽が生えてきて、数カ月のうちに鮮やかな葉っぱが茂ったのです。木は、切ったぶん少し背が低くなり、そして、若くなったのです。生命って、すごい。
枝葉の量が減ったぶん、空が広くなりました。ますます外にいたくなりました。空がよく見えるということは、空からもこちらがよく見えるということ。サンドイッチを食べるときは、ますますトンビに注意だな。
雨が降ると、山全体がふくらみます。植物たちが、ここぞとばかりに水を飲み、二酸化炭素をズワッと吸って、酸素をブワッと吐き出し、ゾワッと成長するんです。森力(しんりょく)です。こんな言葉ないかもしれないですけど。
そんな森に向かって深呼吸をすると、元気が出るんです。目と、耳と、鼻から、森力が入ってくる。かつて自分が舞台に立っていた頃の、カーテンコールで吸い込んだ喝采を思い出します。
エネルギー充塡、さあ、今日も脚本執筆だ。がんばるぞ。
ところで、例の森の墓地には、年に一回くらい管理している人が掃除しにいらっしゃいます。僕も挨拶をしたことがあります。ある日、お墓から男女の話し声が聞こえたので、今年は何人かで掃除しているんだなあと思っていたのですが、アトリエのスタッフに聞いたら、今日はお一人しかいらしてませんよ、とのことでした。
つづく
絵と文 小林賢太郎
小林賢太郎(こばやしけんたろう)
1973年生まれ。横浜市出身。多摩美術大学卒。脚本家・演出家。コントや演劇の舞台作品、映像作品、出版など。2016年からアトリエを森の中に構えて創作活動をしている。
