今日をほがらかに生きる

2022年05月25日

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今日をほがらかに生きる
――編集長より、最新号発売のご挨拶

最近、instagramを見ていると、軒下の巣に寄り添うツバメのきょうだいたちの写真が次々に投稿されています。添えられたコメントからも、「季節の風物詩」を愛おしむ気持ちが伝わってきて、なんだか心がほのぼのします。こんなとき、私が決まって開くのは、学生時代から使っている『ハンディ版 入門歳時記』。燕、乙鳥、つばくろ、つばくらめ、初燕、飛燕……。例句として、こんな句が並んでいます。

夕燕われにはあすのあてはなき 一茶

町空のつばくらめのみ新しや 中村草田男

一句目に、いまのウクライナの人びとの状況を思わず重ねてしまったのは、私だけでしょうか。二句目は、若々しいツバメが颯爽と空をゆくさまが目に浮かぶようです。
さてさて、さわやかな季節の到来。最新号の表紙は、ツバメのまなざしでどこか異国の街を眺めるような、初夏の風のきらめきが感じられる絵です。広島在住の画家、nakabanさんに描き下ろしていただきました。

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巻頭記事「わたしの手帖」で取材にお伺いしたのは、浪曲師の玉川奈々福さん。みなさんは、演芸場やYouTubeなどで浪曲を聴いたことはありますか? 私は両親(戦後生まれ)が聴いていた記憶もなく、以前は「はて、浪曲とは? 講談とはどう違うのかな」という認識でした。あれはちょうど2年前、6号(2020年の初夏号)の取材のときのこと。「はじめてのお楽しみ」という連載で浪曲がテーマとなり、浅草の「火曜亭」で玉川奈々福さんの浪曲を初めて聴いたところ、すぐさま虜になってしまったのです。
まず、登場人物たちはたいてい、熱血漢で情に厚く、おっちょこちょいだったり涙もろかったりと、やたら人間くさい。物語は基本的に、「人と人のつながりっていいものだな」と思えるような人情噺。そして、語りのあいまに挟まれる朗々とした歌声の素晴らしさといったら。胸にどすんと響き、涙が出て、くよくよしていた心もすーっと晴れていく……これはもう、くせになります。
一方で、浪曲はその「心を強く摑む技」ゆえに、第二次世界大戦中は戦意高揚に利用されたという歴史があります。戦後、日本人が経済的に豊かになり、人のつながりが薄れていくと、反比例して浪曲人気は落ち込んでいきました。いっときは、もはや懐古趣味、過去の遺物のようにも捉えられていた浪曲の世界に、なぜ、奈々福さんは飛び込んでいったのだろう? お話を聞いてみたいと思いました。
じつは奈々福さんはもともと、ある老舗出版社の編集者。鶴見俊輔さんや井上ひさしさんほか、錚々たる編者たちの力を得て日本文学全集を編んだ経歴もあり、「言葉」に対して豊かな感性をお持ちです。インタビューは、きらっと光る言葉がどんどん飛んできては、「なるほどなあ」と深くうなずくような、なんとも贅沢なひとときでした。
なかでも胸に残ったのが、「今日をほがらかに生きる」という言葉。いまは「不安の時代」とも言われ、私たちはつい、「○○すれば幸せになる」とか「○○しなければ将来は不安ばかり」といった惹句や宣伝文句に心をからめとられがちです。しかしながら、今日という一日にしっかりと向き合い、本音で誰かと語らって、おいしいごはんを味わい、満足をおぼえながら眠りにつく……たとえば、そんな自分なりの「幸せの指針」を持つことが、あんがい大事なのではないか。そう思うのです。
それは、社会の課題や、自分の暮らし以外のことには関心を持たなくていいとか、そういった意味合いではけっしてありません。自分の手を動かして築いた暮らしは、社会にしっかりと張った根っこ、ある揺るぎない価値観になる。そこから社会を見つめれば、この満ち足りた暮らしをどうしたら持続させていけるか、おのずと深く考えられるものではないでしょうか。
もうすぐ、選挙の季節がやってきます。何かを選ぶのは簡単ではないけれど、考え、語りあい、私たち一人ひとりの「こう生きていきたい」という願いを一票にたくす。いつだって、誰もが無関心ではいられないアクションです。
今号も、旬の素材を生かした料理、あの人におすそ分けしたいカステラ、夏服にぴったりの刺繍のブローチ、動物の福祉を考える記事など、暮らしのなかの「幸せ」や「大切なこと」のいろいろを編み、ぎゅっと詰め込んだ一冊をお届けします。どうか、お役に立てますように。

『暮しの手帖』編集長 北川史織


暮しの手帖社 今日の編集部