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本年最後のしめくくりも『とと姉ちゃん』で

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今年の弊社はなんと言っても『とと姉ちゃん』の年でした。このテーマでBlogを更新するのはとても久しぶりですね。
かわいらしい子役のみなさん元気かな、主演の高畑充希さんをはじめ出演されたみなさんの顔を浮かべながら、名場面を思い返しています。というのも編集部の入口の壁には春からずっと『とと姉ちゃん』のポスターが貼ってあり、出入りのたびに目に留まるからです。
とと、竹蔵とのお別れ、個性豊かな東堂先生のこと、材木問屋の「青柳商店」と仕出し屋「森田屋」をめぐる騒動の日々、常子と星野さんのほのぼのシーン、そして編集長・花山伊佐次の登場、戦争と闇市の舞台……。『あなたの暮し』出版の部屋や花山編集長の机は、残されている記録写真から本物となって飛び出してきたような感覚を覚えました。
実際、『あなたの暮し』の表紙画は花森安治が『暮しの手帖』に描いたものを再現していましたね。70年近い歳月を経ても魅力的だと思えるのは、驚くべきことです。
花森が作った152冊の『暮しの手帖』、「商品テスト」や「戦争中の暮しの記録」などの名企画、『一銭五厘の旗』に収められた文章、大橋鎭子の『すてきなあなたに』や当時の写真を手掛かりに、創刊時の精神を想い描いていた私ですが、なんと映像で蘇るとはとても不思議なできごとでもありました。毎朝テレビを前にして、笑ったり、ドキドキしたり、涙した6カ月は、親密さと懐かしさが入り交じった特別な時間でした。
そして何より、ドラマを通して初めて『暮しの手帖』や創業者たちに共感してくださったみなさま、『戦争中の暮しの記録』にご注目いただき本をお求めくださった方々からお寄せいただいた熱い声は、私たちを叱咤激励してくださっていて嬉しくもあり、身が引き締まる思いです。その後押しにお応えできるよう、これからも変わらずに本作りを続けて行きたいと考えています。

……私は戦争中の女学生でしたから、あまり勉強もしていなくて、なにも知りません。ですから、私の知らないことや、知りたいことを調べて、それを出版したら、私の歳より、上へ五年、下へ五年、合わせて十年間の人たちが読んでくださると思います。そんな女の人たちのための出版をやりたいと思いますが、どうでしょうか
大橋鎭子
『「暮しの手帖」とわたし』より

人を動かす、
国を変えさせる、ペンにはその力がある
花森安治
『花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部』より

最後にみなさんに、お知らせがあります。大晦日の朝からと年明けに再放送の予定が組まれているようですから、どうぞお楽しみください。(担当:上野)

番組放映予定
●12月31日(土)
「とと姉ちゃんと、あの雑誌」午前8時から8時45分 (NHK総合)
「とと姉ちゃん総集編 前・後編」
前編 午前8時45分から 後編 午前10時20分から (NHK総合)
「日曜美術館 “暮し”にかけた情熱 花森安治30年間の表紙画」
午後0時から0時45分(Eテレ)
「美の壺 日々を美しく暮らす 花森安治」午後0時45分から1時15分(Eテレ)

●新年1月8日(日)
「とと姉ちゃん総集編 前・後編」
前編 午後0時45分から 後編 午後2時15分から (BSプレミアム)

※『とと姉ちゃん』の終盤で戦争特集号を出して花山伊佐次は亡くなります。
実は花森は、亡くなる10年前に、『暮しの手帖』96号(1968年)のまるごと一冊を特集企画「戦争中の暮しの記録」にあてました。この号は、『戦争中の暮しの記録』として書籍化しており、現在もお買い求めいただけます。書店で見つからない場合でも、弊社に在庫がございますので、書店にてご注文いただけます。

花森安治が最後に伝えたこと

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花森が遺した画を表紙に使った第2世紀53号

『とと姉ちゃん』の最終週、いかがご覧になりましたか? 戦争特集号を世に送り出して高い評価を得た『あなたの暮し』でしたが、いよいよ体調が悪化した花山が、珍しく常子にお礼を言ったり、常子の仕事ぶりを認めてほめたり、読者に向けた遺言のような編集後記を口述筆記で託したり。そして、赤い服とベレー帽の女性を描いた表紙絵。常子は、「すてきなひとですね」と見入りました。そして、ついに花山は息を引き取り、常子は遺志を継いで力強く走り続けます。
『暮しの手帖』第2世紀53号(1978年)。これこそ、花森が亡くなったすぐ後に刊行された号で、その表紙画は、「何かあったときに使いなさい」と言われて、とってあった絵です。そして、その号の編集後記の「編集長 花森安治のこと」という文章のなかには、花森から読者に向けた遺言が、実際に掲載されています。
ドラマでは戦争特集号を、花山の仕事の、最後にして最高のクライマックスとして描いていました。実際には、一冊まるごと「戦争中の暮しの記録」の特集号を刊行したのは、花森が亡くなる10年前の1968年でした。それと並んで、花森の代表作と言われるのは、『一銭五厘の旗』という本です。1971年に刊行し、第23回読売文学賞を受賞しました。花森が、『暮しの手帖』で書いてきた文章のなかから、みずから選んだ29編を収録しました。この本には、庶民、ことに女性たちのひたむきで力強い生への礼賛、戦争や公害などへの確固とした対抗姿勢などが、花森のやさしく温かなまなざしとともに、強く厳しい筆致でつづられています。なかでも表題作「見よぼくら一銭五厘の旗」にこそ、「暮しを最優先し、ペンの力で守る」という花森の強いメッセージが込められています。ドラマにも出てきた「庶民の旗」。『暮しの手帖』の精神の象徴、ぼろ布をはぎ合わせた旗が表紙に使われています。また、実際の一連のエピソードは、別冊『「暮しの手帖」初代編集長 花森安治』に詳しく掲載しております。ぜひご覧ください。(担当・宇津木)

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かつて社屋に掲げられていた「一銭五厘の旗」。別冊『「暮しの手帖」初代編集長 花森安治』より

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単行本『一銭五厘の旗』は、いまも刊行しております

『小さなしあわせ』は、『すてきなあなたに』です。

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挿画は初代編集長・花森安治によるもの

『とと姉ちゃん』では、常子がごく普通の暮らしの一コマを綴った「小さなしあわせ」という記事と本が登場しました。これは、大橋鎭子が40年以上にわたって『暮しの手帖』に綴り続けたエッセイ「すてきなあなたに」が元になっています。1969年にはじまり、47年を経た現在も続く人気連載。単行本は、累計135万部を超え、社を代表するベストセラーとなっているのです。

あなたがすてきだから、
すてきなあなただから、
でなければつい見落してしまいそうな、
ささやかな、
それでいて心にしみてくる、
いくつかのことがわかっていただける、
そんな頁です
(連載がスタートした2世紀1号目次より)

「すてきなあなたに」で綴られているのは、小さな心配り、おいしいお菓子や料理、旅先で見かけた美しいもの、偶然耳にした心温まるお話など、ほんのちょっとしたこと。さりげない小さなエピソードも、暮らしを大切に思う大橋の心を通して綴られると、温かみを帯びて、すてきになるのでした。読む人の隣に座って話しかけているような、そんなちょっとお知らせするような雰囲気です。

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三女「よしこさん」の素顔

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姉の鎭子(右)とともに、社員旅行先の伊豆で。1950年頃

先週末、自宅でささやかな祝宴を開いて結ばれた、美子と南。結婚後も、美子は『あなたの暮し』を担う編集部員として働き続けます。
女性は結婚したら家庭に入るもの。そんな時代の風潮にとらわれず、美子は自分らしい生き方を選び取ったのですね。

暮しの手帖社にも、一生涯、編集者として生きた「よしこ」がいました。大橋芳子。大橋三姉妹の末っ子で、社長・鎭子の5歳下の妹です。
姉たちとともに雑誌作りの道に入ったのは、21歳のとき。編集長の花森安治に鍛えられ、やがてデスクとして、編集部員の原稿チェックや編集費の管理などを受け持つようになります。取締役まで務めた彼女ですが、皆が掃除をしていたら、自分も四つん這いになって雑巾がけするのを厭わない人。しずこさんと同じく、会社ではずっと「よしこさん」と呼ばれて慕われていました。

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『暮しの手帖』の商品テスト

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1958年の「電気釜をテストする」の誌面。おいしさ、使い勝手、電気代などを考慮し、「あってもよし、なくて一向差支えない」と結論づけた

このところの常子には、ピンチが続きますね。
その発端は「商品試験」。豊富な種類の商品が出回りはじめ、粗悪品も多く混在した高度成長期、『あなたの暮し』で商品を試験して、どれが優れてどれが劣っているのかを読者に示す企画です。
そのモチーフとなった『暮しの手帖』の「商品テスト」も、メーカーの基準とは異なり、実際に暮らすなかで使うようにして徹底的に商品を試すユニークな試験方法で記事を作り、読者の支持を得ていました。
現在ドラマでは、あるメーカーと『あなたの暮し』が対立関係として描かれています。
自社製品の評価が低いことに激怒したメーカーの社長から、常子たちは数々の嫌がらせを受けます。
一方、実際の商品テストでは、大手メーカーはテストの結果を前向きに捉え、性能の改善へ繫げることが多かったそうです。こうしたメーカーの努力の甲斐もあり、メイドインジャパンの製品の質は次第に向上していきました。
商品テストの当時の誌面やエピソード、編集長・花森のメッセージは、現在発売中の別冊『「暮しの手帖」初代編集長 花森安治』にも掲載しております。ぜひご覧ください。(担当:平田)

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現在発売中の別冊『「暮しの手帖」初代編集長 花森安治』

平塚らいてうの「ゴマじるこ」

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第4号の「ゴマじるこの作り方」には、花森安治の挿画が添えられている。「珍味 ごまじるこ らいてう」と、甘味処のお品書き風

鞠子が、憧れの平塚らいてうにいただいた随筆のお原稿。花山編集長は一読し、「ゴマのおしるこという題材がいい。読者の求めているものをよく理解しておられる」と絶賛します。
川端康成、中原淳一、牧野富太郎、志賀直哉……。『暮しの手帖』は創刊当初から、一流の作家や著名人の随筆を柱としていました。
ユニークだったのは、「暮らし」について書いていただきたい、と依頼したこと。戦後すぐ、誰もが物資不足で苦労を強いられていた当時は、高名な人であっても、日々の暮らしを精一杯工夫して送っている、自分と同じなんだと、読者の共感を呼んだことでしょう。
さて、平塚らいてうは第4号(1949年刊)で実際に、「ゴマじるこの作り方」と題した随筆を寄せています。

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誰でも必ずおいしく作れる料理を

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花森安治がレイアウトを手掛けた、1967年の料理記事。右は、大胆で美しいばかりでなく、肉の部位や野菜の切り方がひと目でわかる工夫が凝らされている。(別冊『しずこさん 「暮しの手帖」を創った大橋鎭子』より)

「料理はからきし」の水田が、鞠子が書いたレシピ通りにホットケーキを作ったら、生地はかちんかちんに。花山編集長は、「文章だけでは限界がある」と、調理の過程を何枚もの写真で見せようと発案します。いまでいう「プロセスカット」ですね。
『暮しの手帖』も1950年、ホットケーキのレシピを、初のプロセスカットつきで紹介しています。指導は、銀座にあった「巴里コロンバン」。これは、大橋鎭子が日本興業銀行に入行したとき、新人歓迎会でごちそうになった思い出深いお菓子でした。
この記事に、編集長・花森安治がつけたコピーが「誰にでも必ず出来る」。これはそのまま、『暮しの手帖』の料理記事のモットーでもあります。
家庭によって、火力も違えば、使う道具や調味料も違う。とにかく条件が異なるなかで、「必ず出来る」を目指すのは、なかなか困難なことです。
どうやって、レシピの精度を高めるか。花森と大橋が考えに考えて出した結論が、「くり返し、料理の試作をする」という方法だったのでしょう。

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『暮しの手帖』のたったひとつの広告について

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『暮しの手帖』は、創刊時から自社以外の広告を掲載せずに発行して来ました。本誌の全頁を花森安治の美学で貫くため、また商品テストを厳正に行うためと、折りに触れて編集後記等で説明しています。
『とと姉ちゃん』のドラマでは、資金に窮した常子が、花山に無断で5号の裏表紙に料理学校の広告を入れてしまい、花山と袂を分かつ原因になってしまいます。
実は、『暮しの手帖』もたった一度だけ、裏表紙に広告を掲載したことがあるのです。

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「直線裁ちの服」~きよらかな おしゃれ心に灯をつけよう~

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『暮しの手帖』第4世紀81号

今日の『とと姉ちゃん』では花山編集長が「直線裁ち」を思いつき、女性たちのうれしそうな笑顔がとても印象的でした。このエピソードは、『暮しの手帖』の歩みにしっかりと基づいています。
初代編集長の花森安治の発案ではじまった「直線裁ち」は、『暮しの手帖』創刊号や、その前身となった『スタイルブック』の時代から提案してきた大人気企画。

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大橋鎭子と花森安治の出会い

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ついに、「天才編集者・花山伊佐次」誕生の章への突入ですね。
常子たち三姉妹が創った雑誌『スタアの装ひ』。創刊の着想はよかったのですが、編集技術が伴わず、事業としては成功に至りません。救世主として花山伊佐次に助力を求めますが、無下に断られてしまいました。花山にはどうしても引き受けるわけにはいかない、深い理由があるようです。さて、どんな展開になるのでしょうか。

実際の大橋鎭子も、上司の紹介を得て、花森安治に相談をもちかけます。「母親と妹たちを幸せにしたい。女性の役に立つ雑誌を作りたい」という強い思いをぶつける大橋。

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女性がきらきらと輝いて働くために

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ピクニックを楽しむ社員たち。大橋鎭子は、サングラスに水玉のバンダナ姿。その左隣が花森安治

いよいよ、出版の世界に足を踏み入れた常子。編集会議のさなか、男性部員のお茶を替えようとしたら、もっとやるべきことがあると、谷編集長に諭されます。
「君の意見はないのかい?」「作りたいと思う企画が浮かんだら、ぜひ聞かせてくれ」
男性の上司から、初めて対等に扱われた常子は、感激し、一生懸命に初企画を考え始めるのです。

翻って、大橋鎭子。

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尊敬する上司とのめぐり合い

職業婦人として歩み始めた頃の大橋鎭子。

職業婦人として歩み始めた頃の大橋鎭子。

女学校を卒業し、職業婦人としてタイピストの道を選んだ常子。なんとか職場の人たちにも認められ、いきいきと働き始めましたね。ほっとしました。
さて、『暮しの手帖』を創った大橋鎭子はというと、女学校を卒業してから、親類の紹介もあり、日本興業銀行(現在のみずほ銀行)に入行します。
優しくてお父さんのような上司・工藤昭四郎さんの導きもあり、鎭子は調査月報を作る手伝いをしながら、編集の基礎を覚えて、めきめきと力をつけていきます。それは、「興銀で働かなかったら、『暮しの手帖』はできなかった」と、のちに振り返るほどの貴重な体験となりました。
一見、流れに身をまかせて進んでいく常子と鎭子の人生ですが、人との出会いを大切にし、大事なところで決断をして、自ら運命を切り拓いていくたくましさに、わたしたちも背中を押されます。
鎭子が『暮しの手帖』を創刊するまでには、まだまだたくさんの紆余曲折を経ていきます。ぜひ、『ポケット版「暮しの手帖」とわたし』や別冊『しずこさん』をご覧ください。
(担当・平田)


暮しの手帖社 今日の編集部