自分から開く

2023年11月25日

自分から開く
――編集長より、最新号発売のご挨拶

こんにちは、北川です。
祝日の一昨日、浅草の雷門通りを歩いていたら、豪勢な熊手の御守りを肩にかついで歩く人の姿がちらほらと。早いもので、鷲(おおとり)神社の「酉の市」でした。去年もこんな光景を見たことをありありと思い出すと、一年は本当にあっという間なんですが、若い頃のような焦燥感ではなく、ほっとする思いが湧き上がってきました。
「この一年、それなりにいろいろあったけれど、無事に過ごせたのだから、まあよかったじゃないか」というような。
世界のあちこちで続いている争いに目を向けると、ただ普通に暮らせることが、いっそうありがたく思えてくる。みなさまは、どんな思いを胸に今年を振り返っていらっしゃいますか。

今号の表紙画は、絵本作家のみやこしあきこさんによる「雪の街」。降りしきる雪のなか、車でどこかへ向かうクマさん。助手席には、プレゼントらしき赤い紙袋。
編集部のある人が、「ソール・ライターの赤い傘の写真みたいな雰囲気だね」と感想をもらしましたが、言い得て妙です。
『暮しの手帖』は年に6冊。どの号も力を入れてつくっていますが、この年末年始号は、とりわけ力こぶができるのです。いつもよりも、ゆったりとした心持ちで読んでくださる方が多いかもしれない。ふだんは離れて暮らす家族や、久しぶりに会う友人に、何かおいしいものをこしらえてあげたい、そう考える人もいらっしゃるだろう――そんなことを想像しながら企画を考え、いざ撮影するのは夏の暑い盛りです。一つひとつの記事については、それぞれの担当者が来週からご紹介しますね。

かくいう私は、「わたしの手帖 笑福亭鶴瓶さん」を担当し、7月初旬、大阪の帝塚山(てづかやま)へ向かいました。帝塚山は高級住宅地として知られているようですが、私が訪ねたのは、ごく庶民的な街並みにあるこぢんまりとした寄席小屋「無学」です。
もしかしたら、鶴瓶さんの落語家としての顔をご存じでない方もいらっしゃるかもしれません。それもそのはず、鶴瓶さんは20歳で六代目笑福亭松鶴(しょかく)師匠に弟子入りするものの、師匠からはまったく稽古をつけてもらえず、本格的に落語に取り組んだのは50歳を過ぎてから。まだ20年ほどのキャリアなんです。
「無学」は、もとは松鶴師匠の邸宅で、師匠亡き後に鶴瓶さんが買い取って寄席小屋に改築しました。若い頃の鶴瓶さんは、すぐ近くのアパートに住みながらここに通い、新婚生活もこの街で送ったといいます。
なぜ師匠は鶴瓶さんに稽古をつけてくれなかったのだろう?
鶴瓶さんが「無学」という場をつくり、24年もの間、地道に運営してきたのはなぜ?
そのあたりはぜひ記事をお読みいただくとして、取材でとくに心に残ったのは、鶴瓶さんの「人に対する垣根の無さ」でした。
はじめに「こんにちは、このたびはありがとうございます」とご挨拶すると、「あなた、前にも会ったことのあるような顔だね」とほがらかに鶴瓶さん。その一言で、場の空気はふっと和み、取材の緊張がほぐれます。
撮影では、照りつける日差しの下、帝塚山をぐるぐる歩き、20歳の頃に住んでいた可愛らしいアパートや、新婚時代に暮らしたアパートなどを案内してくださったのですが(前者は63頁にちらりと写っています)、道ゆく人が「あ、鶴瓶さん!」とたびたび声をかけてきます。鶴瓶さんは一人ひとりと自然体で会話を交わし、写真を求められれば応じ、なんだかとてもフラット。そう、NHKの『鶴瓶の家族に乾杯』のロケシーンそのものなんです。
「人といかに出会って、関わっていけるか。それが生まれてきた意味だと思う。だけど人生は短いからね。一番手っ取り早いのは自分から開くことだと思っているんです」
そう鶴瓶さんは語ります。
確かにその通りだなあ……と胸にしみたのは、私もそれなりに年齢を重ね、「あのとき、どうしてあの人にこれができなかったのだろう」というような後悔があるからかもしれません。
自分から開く。
山あり谷ありの人生を、人との結びつきを大切にしながら歩み、多才なキャリアを積み重ねてきた鶴瓶さん。「格言を言うぞ」というような肩ひじ張ったところは一つもなく、それでいて、「なるほどなあ」と胸に落ちる格言がぽんぽんと飛び出す。年末に、来し方行く末に思いを馳せながらお読みください。
ちなみに私は12月1日、池袋で催される鶴瓶さんの独演会を心待ちにしています。年末だから、夫婦の結びつきが胸を打つ「芝浜」が聴けるかな。鶴瓶さんの落語は、ふだんの鶴瓶さんの語りと変わらずあったかく、江戸の世界にすっと入り込めるのです。

さて、今号は特別付録として、トラネコボンボンさんの「世界を旅する猫のカレンダー」をつけました。
トラネコボンボンさんには、今年一年の目次画を手がけていただいたのですが、毎号どっさりといろんな絵が届き、アートディレクターの宮古さんが頭をひねってデザインする、その繰り返しでした。カレンダーも同じで、12カ月分を大幅に超える点数を描いてくださり、さあどれを選ぼうかと、何度か組み替えて悩んだものです。ぜいたくな悩みですね。
来たる年も、みなさまの暮らしに小さくとも温かな灯りをともせる雑誌がつくれるよう、編集部のみなで頑張りたいと思います。少し早いのですが、どうぞお身体を大切に、よい年末年始をお迎えください。今年もご愛読くださり、本当にありがとうございました。

『暮しの手帖』編集長 北川史織


暮しの手帖社 今日の編集部