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花森安治選集 全3巻完結!
第3巻『ぼくらは二度とだまされない』

2020年11月26日

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花森安治選集 全3巻完結!
第3巻『ぼくらは二度とだまされない』

ついに、完結巻となる第3巻を発売しました。
本巻では、日本が経済大国へと急成長を遂げた時代、
1960年から、花森の没年1978年の絶筆までの、
激動の昭和を鋭く見つめた作品群となっています。

「もはや戦後ではない」と、日本が復興の時代の終了宣言をしたのが1956年。
その数年後の1960年には「所得倍増計画」政策がはじまり、
高度経済成長とともに、豊かさの時代へと一気に駆け上がりました。
「夢の超特急」と呼ばれた東海道新幹線の開業、東京オリンピック(1964年)、
大阪万博(1970年)開催、といった華やかさに沸く一方、
それらが生んだ歪みも顕在化してきていた時代でした。

ロッキード事件などの政治腐敗、利益至上主義の考えから起こった大量生産、
東京のスモッグ深刻化、食品偽装問題、水俣病をはじめとする公害……。
「もうけ」のために、自然や暮らしを平気で破壊してしまう企業精神や、人々のありかたを、花森は痛烈に批判。国や大企業に対して、臆することなく抗い続けました。

60年近くも前の文章ですが、まるで今のような錯覚すら覚える日本の現状と展望。
召集令状で国民を戦場に駆り出し、暮しを奪った「国」に、今度はだまされない。
今度こそ、困ることをはっきり言おう。
自分たちの暮しは自分たちで守ろうと訴えます。

庶民のあたりまえの暮しを守るため、一本のペンを武器に挑んだ檄文の数々。
この叫びは、現代日本にも通じる魂のメッセージです。
ぜひ、書店にてお手に取ってご覧ください。

外函の装画は、1957年刊行の『暮しの手帖』1世紀42号の表紙画から。
もちろん、花森安治によるものです。(担当:村上)

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※目次は下記のリンクよりご覧いただけます。

https://www.kurashi-no-techo.co.jp/books/b_1193.html

苦しいときは、笑っちゃおう――編集長より、最新号発売のご挨拶

2020年11月25日

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苦しいときは、笑っちゃおう
――編集長より、最新号発売のご挨拶

こんにちは、北川です。
つい先日、混雑する上野駅の構内を歩いていたら、ふっと、10代の頃に習った歌が胸に浮かびました。

ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく 啄木

この年末年始は、ふるさとを遠くに思いながら過ごす人も多いのだろうなあ。この「人ごみ」の中の一人ひとり、マスクをして足早に歩く人たちも、きっと……。
そんなことを思うと、すこし切なくなったのですが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。
本当に、めまぐるしい変化があり、「暮らし」の中身を、その意味を、いくたびも見つめ直す一年でした。しんどいこともたくさんあったけれど、得たこと、気づきもあった、そう信じたいと思います。

最新号の表紙画は、舞い散る雪の中を元気いっぱいに駆け回る3頭の鹿たち。作者は、絵本作家のきくちちきさんです。
今号は、ちきさん作の絵本「しろいみつばち」を綴じ込みの付録につけました。絵本をつくろうと決めたのは早春の頃でしたが、しだいに世の中はざわめき始め、やがて家にひとり閉じこもって仕事をする日々、ちきさんから届く生命力あふれる絵には、ずいぶんと心がなぐさめられました。
「絵本は詩であり、哲学であり、アート。子どもだけのものじゃないのよ」
そう教えてくれたのは、巻頭記事「わたしの手帖」に登場してくださった、元編集者で作家の小川悦子さんでした。
小川さんは、絵本と児童書の出版社の社長を20年余り務め上げ、世に送り出した絵本は156冊、海外絵本の翻訳も手がけられています。
その性格は、好きになったらまっしぐら。自社の絵本をリュックに詰めて、書店に置いてほしいとお願いして回ったときは、10軒中9軒にすげなく断られても、まったく傷つかなかったと話します。「だって、必ず1軒は気に入ってくれるものよ」と。
私などは、『暮しの手帖』を置いてくださっている書店に入っても、書店員さんたちがお忙しそうにしていると、物陰からしばらく見守り、ご挨拶もできずに出てきてしまうこともあるのだ……そう話したら、思いきり叱られました。
「ご自分で一生懸命につくった本でしょう? 世の中に知らしめたいと思ったら、なんでもできるはずですよ」
ああ、本当にそうだなと、心底恥ずかしくなったのでした。
この記事のタイトルとした「自分を生きなきゃ、意味がない」もそうですが、小川さんの言葉には、85年の人生から紡ぎ出された「輝き」があります。そう、「苦しいときは、笑っちゃえばいいのよ」ともおっしゃっていたっけ。
今号は、ちきさんの絵本、小川さんの記事をはじめ、私たち編集部員一人ひとりが「贈り物」を持ち寄るような気持ちで編みました。
即効性はないけれども、いまを生きるみなさまの胸にじんわりとしみいって、心が平らかになるような一冊にできたら。せわしい日々のなかで、無心に手を動かす楽しさや、自分の身体をいたわることを思い出すきっかけになれたらと。
一つひとつの記事については、明日から担当者それぞれがこちらでご紹介していきますので、ぜひ、お読みください。

このところ、寝る前にまど・みちおさんの詩集を開いているのですが、昨晩、ああいいなと思った詩を最後にご紹介します。
タイトルは「ぼくが ここに」。

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメが いるならば
その一つぶの マメだけ
しか ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも

その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として

「いること」こそが、すばらしい。わかっているのに、どうしてときどき忘れちゃうのかな、と思います。
誰と比べるわけでもない、素のままの暮らしが、一つひとつ、あたたかに守られますように。いつもお読みくださることに感謝を込めて。
どうぞみなさま、心穏やかな年末年始をお過ごしください。

『暮しの手帖』編集長 北川史織

追伸/
絵本「しろいみつばち」にちなんだ、きくちちきさんのオンライントークイベントが、12月1日(火)20:30より開催されます。
ちきさんが「しろいみつばち」の朗読をしてくださり、『絵本ナビ』編集長の磯崎園子さんと、絵本の持つ力について語り合います。私は司会を務めます。
全国どこにいらしても(海外でも)ご参加できますので、ぜひご覧ください。

お申し込み方法は、下記のリンクにお進みください。
https://store.tsite.jp/ginza/event/magazine/17177-1551441116.html

新刊 別冊『おいしく食べきる料理術』発売中です。

2020年09月30日

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新刊 別冊『おいしく食べきる料理術』発売中です。
(別冊『おいしく食べきる料理術』)

今年、外出自粛の期間を経て、多くの人が、家にいる時間が増えました。
家で食事をとることが多くなり、普段は料理をする習慣がない人たちも、
台所に立つ機会が増えたそうです。そうすると、以前は外での仕事で忙しくしていて見えていなかった家の中のことが、いくつも見えてきますね。
思いの外、自分の家の台所のゴミが多いことに気づいた人もいるでしょう。もちろん兼ねてから、それが気になっていた人も多いでしょう。
「もったいないなぁ」と。
その捨てたものの中には、食べられたはずのものがあるからです。
それがいわゆる「食品ロス」とか「フードロス」と呼ばれるもの。
日本では、全体量のおよそ半分が家庭から出ているそうです。
本当にもったいないですね。農業や漁業の営みで生産された食料資源をムダにすることになりますし、自然環境にもよいわけがありません。食料自給率が低い日本だからなおさらです。また、お金を支払って購入した食べものですから、自らのお金をムダにしていることにもなります。
そして何より、食べものを捨ててしまうときの、「もったいないなぁ」という気持ちをなくしたいと思うのです。
よりおいしく、ムダなく料理する工夫がうまくできたら。
買った食材を献立に生かし、家にあるもので手早く料理する。
それこそが「料理上手」です。毎日の台所仕事はもっと楽しくなりますし、食卓は心豊かなものになるはず。
そんな工夫とアイデアをご紹介する本を作りたい。
そう考えて、私たちは小社のウエブサイトと『暮しの手帖』の誌面で、アンケートを実施し、その実際の事情を知ることから始めました。実に663名というたくさんの方々にお答えいただきました。
この本では、7人の料理家の方々に、おいしく食べきる台所術と129品のレシピを教えていただきました。有元葉子さん、飛田和緒さん、大原千鶴さん、荻野恭子さん、上田淳子さん、こてらみやさん、ワタナベマキさんです。
ちょっと手を動かすことで、食材のおいしさを長持ちさせる。いままで捨てていた部位をおいしく食べきる。冷蔵庫にあるものだけでおいしいひと品を作る。料理の工夫って楽しいものです。みなさんもぜひ、「もったいない」というモヤモヤなくして、「料理上手」を目指してみてください。
きっとこの本がお役に立てることと思います。(担当:宇津木)

この本の詳細とアンケート結果のまとめは下記の特設ページよりご覧いただけます。
https://www.kurashi-no-techo.co.jp/life-style_survey_report/

ゆるぎないもの ——編集長より、最新号発売のご挨拶

2020年09月25日

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ゆるぎないもの
——編集長より、最新号発売のご挨拶

窓を開ければさらりと乾いた風が吹き渡り、エアコンをつけずに一日を過ごせる、そんな心地よい季節になりました。
今年の夏は、酷暑はもちろんのこと、その「不自由さ」においてもなかなかにつらく、我慢くらべのようでしたね。誰もがそれぞれの「不自由さ」と向き合いながら、それでも何かしらの楽しみを見いだそうと工夫して、先の見えない日々を歩んできたような気がします。

私たち編集部は相変わらず在宅勤務を基本に制作を続けていて、この8号ではや3冊目、ビデオ通話の打ち合わせなどはさすがに慣れてきました。それでも、取材や撮影で顔を合わせると、なんだかうれしくて、つい一生懸命に話してしまいます。
同じ空間にいて、たがいの表情を見て、声で空気を震わせて言葉を伝えるのが、なぜこんなによいものなのか。その理由はわからないけれど、ビデオ通話の話し合いが「目的地に向かって脇目も振らずまっしぐら」といった印象なのに対して、じかに会って話すことには、「ゆとり」や「遊び」がある感じでしょうか。ちょっとの寄り道や脱線はゆるされて、会話がふわっと、空間のぶんだけ広がってゆくような。

8号の巻頭記事「どんなときも、絵本を開けば」は、東京・原宿で小さな喫茶店「シーモアグラス」を営む坂本織衣さんに、開店してから24年のあいだ、折々に心を照らしてきた4冊の絵本のことを綴っていただきました。
初めて取材に訪れたのは6月のはじめ。お店のある明治通りは自粛期間前の賑わいを取り戻し、マスク姿の人びとであふれていましたが、坂本さんは3月下旬からお店を休業としたままでした。
「どうしたらいいか、わからないんですよね」
久しぶりにシャッターを開けたという店内で、確か、坂本さんはそんなふうにおっしゃったと思います。嘆くわけでなく、つぶやくように淡々と。
そして、壁一面の本棚にみっちりと詰まった絵本から数冊を抜き出し、それぞれの物語について、ご自分のこれまでの歩みに重ねて語ってくださいました。幼いお子さん2人を育てながらお店を開こうとしていた頃、寝る前の2人に読み聞かせては、親子で心をひとつにした絵本。家事、育児、お店の仕事、ご両親の世話に追われる暮らしのなかで、働き者の主人公に自分を重ね合わせて、その日々を肯定できた絵本……。それらの話は、一つひとつがお店にともる灯りみたいに、ささやかで素朴であったかく、希望を感じさせるのでした。
私たちはたぶん、一人ひとりがこうした、「私はこれがとっても好きなんだ。なぜならば……」という物語を持っていて、たびたび胸の内から取り出しては眺め、ときに誰かに語ったりして、生きる支えとしている気がします。
喫茶店で、見知らぬ人たちに混じって過ごすひとときも。人と目を合わせて話すことも。ひとところに集い、演劇や生の音楽に胸を震わせることも。どんな「好き」も、あっさり簡単に手放していいものなど何一つないんですよね。

自粛期間中に「不要不急」という言葉がよく使われ、「自分の仕事ははたして不要不急か?」なんて自虐めいた話題があちこちで聞かれました。私たちの仕事は、自虐でも謙遜でもなんでもなく、「不要不急である」と言えます。雑誌がなくても、衣食住は成り立ちますから。
けれども、たとえば日々のごはんが栄養をとることだけではなく、心に刻まれ、人とのつながりを感じられるものであるために。自分の手を動かして何かをつくり出す、その楽しみとゆたかさを幾つになっても忘れないために。社会の潮流に対して自分はどう考えるのか、その礎とするために。私たち雑誌ができることはまだあるんじゃないかなと信じ、手探りしながら、この8号を編みました。
なお、連載「からだと病気のABC」は、いつもよりも頁を拡大し、新型コロナウイルスの予防対策を中心にわかりやすくまとめましたので、どうぞご参考になさってください。
心がどことなく張り詰める毎日のなか、この一冊を開いて、ご自分の暮らしでゆるぎないもの、大切にしたいものに思いを馳せていただけたら幸せです。
『暮しの手帖』編集長 北川史織

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花森安治選集 全3巻 第2巻『ある日本人の暮し』を発売しました!

2020年09月24日

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花森安治選集 全3巻
第2巻『ある日本人の暮し』を発売しました!

庶民の日常茶飯にひそむ哀と歓。
情感滲にじむモノクローム写真と、
花森の卓越した文章で織りなす、ルポルタージュの傑作!

『暮しの手帖』の初代編集長として30年間指揮を執った花森安治。数々の名物企画を生み出し、昭和の名編集長と評されています。
なかでも、日用品や家電製品の性能を調べる「商品テスト」は有名ですが、花森が最も心血を注いだといっても過言ではない企画が、このルポルタージュの連載「ある日本人の暮し」だったのです。
連載開始は1954年。花森自身が取材に出向いて執筆した期間は14年にわたり、その数55編におよびます。
連載第1回「山村の水車小屋で ある未亡人の暮し」(1954年)と、
第2回「ある青春」(1954年)では、戦後10年近くが経とうとする当時、貧しくとも、必死に生きる女性たちが登場します。密着取材のもと、彼女たちに寄り添うように、書き手・花森はその暮しを記録しました。
きっと手ごたえを感じたのでしょう。これに端を発し、『暮しの手帖』の誌面で取材先を募集するようになりました。
〈この号の「ある青春」は、前号の「山村の水車小屋で」にひきつづいて、いまの日本の、いわば名もない人たちの、ありのままの暮しの記録です。これは当分ずっとつづけてまいりたいと考えておりますが、つきましては、この記録について、みなさまのお力ぞえをいただけましたら、どんなにありがたいかと存じます。
 私の暮しを写してもいい、という方がございましたら、お知らせいただきたいのです。こちらの希望としては、なにか特別なことのない、どこにでもあるふつうの暮し方をしていらっしゃる方なら、どなたでも結構です。都会でも、農村や山村漁村でも、日本中どこでもかまいません。……〉(『1世紀24号』「あとがき」より)

それからというもの、取材先は全国へと広がります。
それぞれに家庭の事情を抱え、さまざまな職業に就き、激動の昭和をひたむきに生きる人々の物語が紡がれていきました。

●「しかし、私たちも明るく生きてゆく」では、ともに耳の聞こえない藤田さん夫婦が、健聴者である娘ふたりを育てる日々が、妻の一人称で語られてゆきます。

●「特攻くずれ」は、17歳で特攻隊員になった木村さん、戦後20歳で郷里に戻るも、町の人からは冷たく「特攻くずれ」と呼ばれ、良い職にもなかなか就けません。そこで意を決し、資格を取って電気屋となり、新天地・大阪へ。電気のこと以外でも、路地裏の貧しい家々をまわり御用聞きをし、人に喜んでもらえる仕事をするうちに、あたたかい世間を感じるようになっていきます。

●「共かせぎ落第の記」には、30歳の機関士・川端新二さんと、26歳の妻・静江さんが登場。夜勤のある夫の新二さんが徹夜明けで帰ってくる家は、6畳ひと間きり。そんなとき静江さんはひとり図書館へ。ふたりの夢はもうひと間。「夢」は「みるだけ」に終らせたくないと必死に思いながら……。

花森は、人情の機微には敏感で、市井の人々の懐に飛び込むと、語るつもりのなかったことや、家計の事情、本音を巧みに引き出し、その人の日常茶飯にひそむ哀歓を見事にとらえました。
まるで、その人の人生を抱きかかえるように見つめ続けた「ある日本人の暮し」。家族を、仕事を愛し、あきらめずに希望をもって生きる人々の、人生の輝きを見つけることができます。いま読んでも、いや、いまだからこそ、いっそう心を打つ記録ばかりです。
ご紹介している本の中面写真の頁は、「共かせぎ落第の記」の夫婦の、
買いたいものをさわってみるだけ、映画も看板を見るだけ、の『「だけ」の休日』シーン。取材にはいつも2名の社員カメラマンが同行し、家族に張り付いたからこそおさえることができた、そんな何気ないけれど映画のような構図の写真も見どころです。
ぜひ、書店にてお手に取ってご覧ください。

外函のデザインに用いた木綿のコラージュ写真は、1965年刊行の『暮しの手帖』1世紀81号の表紙から。もちろん、花森安治によるものです。(担当:村上)

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※目次は下記のリンクよりご覧いただけます。
http://www.kurashi-no-techo.co.jp/books/b_1192.html

書籍『いつもいいことさがし3』刊行!生きている。ただそれだけで素晴らしい。

2020年09月18日

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◎書籍『いつもいいことさがし3』刊行!
生きている。ただそれだけで素晴らしい。

昨年23年の連載に幕を閉じた小児科医・細谷亮太先生のエッセイ「いつもいいことさがし」。完結となる3巻目ができました。

誰でも年齢を重ねていきます。現場から管理へと足場を移し、定年を迎える……。あるいは、子育てからの卒業。そうした変化があります。細谷先生は、小児科医として子ども達に寄りそい、自分の子ども時代を思い出しながら、日々「いいこと」をさがしてきました。この巻では、臨床現場から遠ざかることに戸惑いながらも、いのちの大切さを伝える講演や、重い病気を持つ子ども達が楽しめる居場所作りの活動へと、全国各地を奔走。役割が変わっても、生きていることは素晴らしいと実感させてくれます。

表紙画を描いてくださったのは、細谷先生の友人でもある、画家・絵本作家のいせひでこさん。山形で生まれ育った細谷先生の原風景は、サクランボでなく林檎の木だそう。裏表紙に描かれている林檎の木の花と合わせて、さまざまな色の実が人生の来し方を現わしています。

表紙と各エッセイのタイトル文字は細谷先生の自筆。原稿は毎回、手書きのファックスでいただいていました。小学生のころ字を習われ、自作の句を墨書なさっている、読みやすく味わい深い文字を、読者の方にも是非ご覧いただきたいとお願いしました(表紙はクレヨン、エッセイは鉛筆)。

帯文「『だいじょうぶ』と寄りそってくれる本」を書いてくださったのは、詩人の工藤直子さん。本書にも詳しくありますが、医学生のころから俳句を発表し始め、俳人・細谷喨々(りょうりょう)としても活動する先生が宗匠を務める句会「螻蛄(けら)の会」の仲間です。お二人の対談「詩と俳句と人生と」は9月25日発売の『暮しの手帖』8号に掲載されます。

『いつもいいことさがし3』は9月下旬発売です。お近くの書店で、帯の細谷先生の笑顔がお待ちしています。(担当:高野)

目次は下記のリンクよりご覧いただけます。

いま、言葉を信じたい

2020年07月29日

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いま、言葉を信じたい
――編集長より、最新号発売のご挨拶

梅雨が抜けきらないなか、全国で新型コロナウイルスの感染者数が増えつつあり、どうにも気持ちが落ち着かない日々が続きます。いかがお過ごしでしょうか?
過日は、九州地方をはじめとする各地で、豪雨によりたくさんの方々が被害に遭われました。心よりお見舞い申し上げます。ご不便が一刻も早く解消され、そして、深い苦しみや悲しみが少しでも癒されますように。

私たち編集部は4月から在宅勤務態勢に入り、それはいまでも続いています。最新号は、撮影を始めようとした矢先に「緊急事態宣言」が出されたため、ある企画は内容をがらりと変更し、いくつかの企画はギリギリまで撮影を日延べして、さらに発売日を7月25日から29日に延ばすことで、なんとか発行まで漕ぎつけました。
いつもよりもお待たせしてしまい、申し訳ありません。
最新号の大きなテーマは、「暮らしから平和を考える」。このテーマを考え始めたのは、確か昨年の10月あたりのことで、私の頭にあったのは、「戦争と平和」、そして「台風への備え」くらいでした。まさか、世界中の誰もが同じ困難と向き合い、「平和」の希求がこんなに切実なものになろうとは、思ってもみなかったのです。
正直に言えば、「撮影ができないかも」となったとき、過去の料理記事などを再編集して頁をつくろうかとも考えました。それだって、みなさんのお役に立つのなら、決して悪くはない手段ですよね。
でも、なぜだろう。私はどうしても、新しくつくった記事を載せたかったのです。いま、みなさんと同じ空気を吸い、この苦しみを味わっている私たちが、できる限りの、精一杯のものをつくって差し出す。ちょっと見栄えは冴えなくなるかもしれないけれども、それが大事かもしれない、そう思いました。
じつは私自身が、このコロナ禍のなかで大きな不安に押しつぶされそうでした。まだ感染の危険があるなかで、スタッフを撮影に送り出していいのだろうか、という迷い。ビデオ通話での打ち合わせはしているにせよ、会わずに進めることでコミュニケーションに齟齬が生じ、ひいてはそれが出来上がりに響くのではないか、という焦り。
どんな状況下でも、なるたけいい本をつくって、きちんと売りたい。いや、売らなければ、制作は続けていけない。世間でよく言われる、「いのち」と「経済」のどちらが大事なんだ? なんて問いかけは、答えようのないものとして重く胸の底に沈んでいました。そんなのは、どちらも大事に決まっているじゃないか。
みなさんのなかにも、そう心のうちで叫んだ方はいらっしゃるでしょうか? 私たちは、正解が一つではない世界を、迷いながら、悩みながら、歩んでいるんですよね。でも、なんとか自分で道を選んで、歩んでいかなくちゃいけない。それがおそらく、暮らしていくこと、生きていくことだから。

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今号の巻頭は、「いま、この詩を口ずさむ」という特集としました。6編の詩と、それに寄り添う写真や絵で構成する、いたってシンプルな頁です。
夜更けに食事をつくってテレビをつけると、街角で、この数カ月の困窮をぽつりぽつりと語る人がいます。一方で、そんな他者の生活苦を顧みないような軽々しい言葉、あるいは、なんだか格好いいけれども実のない言葉を発する政治家がいる。SNSをちらっと覗いてみると、「それ、匿名だから言えるんじゃない?」と思うような、毒々しい誹謗中傷が飛び交っている。
言葉って、こんなふうに使っていいものだったっけ。ふと思ったのです。人をまっとうに扱うように、暮らしを自分なりに慈しむように、心から誠実に言葉を発していきたい。たとえ不器用でも、言葉は完璧じゃないとわかっていても。ここでは、そんな思いを呼び覚ましてくれる詩を選びました。
たとえば、黒田三郎の「夕方の三十分」は、いまで言うワンオペ育児をするお父さんと、その娘が繰りひろげる、夕餉の前のひとときを描いた詩です。ウィスキイをがぶりと飲みながら、玉子焼きなどをつくるお父さん(飲酒しながら火を使うのって、ほんとうはダメですが)。そんな父の作業をたびたび邪魔して、しかもだんだん口が悪くなる幼い娘。ふたりはいさかいを起こします。
どんな家でも見られそうな情景ですが、最後の数行を読むと、心がしんとします。ああ、暮らしって、親子って、こういうものじゃないかと思う。ぜひ、島尾伸三さんによるモノクロームの写真とともに味わってみてください。「このところ、しゃべる機会がめっきり減って、口のまわりの筋肉が凝り固まっているようだ」という方(私がまさにそうですが)、音読することをおすすめします。

最後に。今号の表紙画は、画家のミロコマチコさんに描き下ろしていただいた「月桃の花」です。
自分でも意外なほどすっかり落ち込んでしまっていたとき、「心を照らすような、希望を感じさせてくれるような絵を描いていただけませんか」と、ただそれだけをお伝えして待ちました。この絵が奄美大島から届いたときのうれしさと言ったら。「なんだか、魔よけみたいだね」とみんなで言い合ったものです。
いまは、この号を傍らの本棚に立てかけ、ときどき表紙に目をやりつつ、次の秋号を制作しています。取材・撮影がふつうにできること、人と会って言葉を交わせることは、なんてうれしく、ありがたいんだろうと思いながら。私たち一人ひとりが、決して完璧ではないけれども、それぞれに愛すべき暮らしを抱えながら。
つまずいても、悩んでも、日々は続いていくのですね。どうかみなさん、お元気で。心身をいたわって、すこやかにお過ごしください。

『暮しの手帖』編集長 北川史織

花森安治選集 全3巻 第1巻『美しく着ることは、美しく暮すこと』を発売しました!

2020年06月01日

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とうとう、長く制作を進めてきた一冊が完成しました。
現在でも天才、奇才、昭和の名編集長と評され、
多くの人に愛されて続けている花森安治の選集を、この1巻からお届けします!

『暮しの手帖』初代編集長の花森は、敗戦後の復興から、
経済大国へと急成長を遂げた昭和の変遷を鋭く見つめ、
家庭のささやかな幸せに向けたまなざしから、国や大企業に臆することなく抗う叫びにいたるまで、ジャナーリストとして伝えた著作を膨大に遺しました。
この選集は、花森のジャーナリズムと思想をつまびらかにする作品群です。

ところで、4年前に放送されていた連続テレビ小説『とと姉ちゃん』をご覧になったことはありますか? 暮しの手帖社の創業期からのエピソードに想を得て作られたドラマです。
ヒロイン・小橋常子(演・高畑充希さん)の雑誌作りを助ける、
天才編集者・花山伊佐次(演・唐沢寿明さん)は、花森安治がモチーフでした。
ふたりは戦後すぐに出会い、少しでもみんなの暮らしを明るくしたいと、
試行錯誤しながらファッション誌を出版します。
この第1巻はちょうどその頃、花森が新進気鋭の服飾評論家として世に登場した、
『暮しの手帖』創刊前後の作品に焦点を当てています。

1946年に出版社「衣裳研究所」を設立し、
まだ物が極端にない中で提案したことは、まず「着るもの」についてでした。
「食」や「住」の材料は庶民には思うように手に入らないけれど、
「衣」だけは、昔からの着物をタンスの中に持っている人も多い、と考えたためでした。

洋裁の知識やミシンがなくても、和服地で簡単に作れる「直線裁ちの服」を考案し、
知恵と工夫次第で、あなたはもっと美しくなれると読者に呼びかけました。
また、「着るもの」を通して「ほんとうのおしゃれ」とは何かを説き、
それまでもんぺ姿を強いられていた女性たちのおしゃれ心に、灯をともしたのです。

洋装の入門書、手引きとして愛された貴重な原稿にはじまり、
次第に洋装が庶民に広がってくる頃になると、
「必要なのは感覚であって、お金ではない。美しく着ることと、お金とは、何のかかわりもないのである。しいて関係をみつけるとすれば、美しく着るということは、なるたけお金を見せびらかさないこと、そういう意味になるだろう。……」
「いまの日本で着ものの世界を見ていると、ことに女の服では、ファッションとかアラ・モードとかニュールックとか、そうした流行だけが問題になっている。まるで「流行」だけしかないように見えるのである。
 流行がいけないというのではない、流行は、いわば着ものという木に咲いた花である。根もあれば幹もあり、枝も葉もあって、はじめて、立派に花が咲くのである。……」
と、ユーモアたっぷりのエッセイでおしゃれの本質を論じました。

昭和から平成、令和と時代を経ても決して色褪せない、今だからこそ見つめ直したい、
花森の「美学」がたっぷりと詰まった一冊となっています。
函入り、上製とした美しい本の仕様は、ぜひ書店でお手に取ってご覧ください。
もちろん本の装画は、花森安治によるものです。(担当:村上)

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たとえ、ままならない日々でも

2020年05月23日

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たとえ、ままならない日々でも
――編集長より、最新号発売のご挨拶

青葉がいきいきと、生命力いっぱいに目に映る季節です。お元気でお過ごしですか? きっと、それぞれの立場でいろんな不便や苦労に向き合い、折り合いをつけながらの日々ではないかな、と想像しています。
私たち編集部は、3月下旬あたりから段階的に在宅勤務態勢に入り、6号は校正作業をメールなどでやり取りして進め、たがいにほとんど顔を合わさずに校了しました。こんなことは初めてです。
振り返って思うのは、確かに困難はあったけれども、手抜きはなかったな、ということ。いつもと変わらずに、いや、いつも以上にしつこく、あきらめ悪く、みなでギリギリまで推敲してつくりあげた号です。
どうか、みなさんのお手元に無事に届きますように。気分がふさぎがちな、苦しみの多い日々のなか、この一冊が少しでも役立つことができますように。そう胸の内で唱えて、朝昼晩と切れ目なく校正紙に向き合っていた気がします。

私自身は、在宅勤務のこの2カ月ばかり、気持ちが落ち込むことが何度かありました。6号のつくり込みがしんどかったこともありますが、次の7号で準備していた取材撮影をいくつも中止せざるを得なくなり、一冊の設計図をかなり変えなければならなくなったからです。
本来なら、「やりたいこと、やるべきこと」から企画を考えるべきなのに、「この状況下でもなんとかできること」から考え始めなければならない不自由さ、不自然さ。しかし当然ですが、埋め草的な記事はつくりたくない。さあ、どうしよう。どうしたらいいだろう。めずらしく、追い詰められました。
でも、ある晩、疲れ切って寝床に入ったときに、ふと思ったのです。自分はこれまでそんなに、順風満帆で、欠けることのない人生を送ってきただろうか。そんなわけがない。じゃあ、ここで一つ二つ、道をとざされたくらいで、何かが大きく損なわれたような気分になるのは、まったく甘いんじゃないかな、と。
みなさんは、ある日突然に「暮らし」が足元からぐらりと揺らぎ、途方に暮れたことはあるでしょうか。私は一度だけあります。もう遠い昔、大学に進学する前年のことですが、父親が病に倒れ、たった2カ月半ばかりの闘病の末に亡くなったのです。人生の短さに、自分の暮らしの弱さに、目がくらむようでした。思うような道に進めたのは、手を差しのべてくれる人がいて、また、いくつかの幸運が重なった、ただそれだけのことです。
いま、仕事を失って困窮したり、店を開けられずに負債を抱えたり、アルバイトができずに学業をあきらめざるを得ないなど、心底困り、途方に暮れている人たちがいます。他人事じゃない、と思うのです。全員が、区別されることなく、一刻も早く救われてほしい。携わる仕事によって、「役に立つ」「役に立たない」と、人を区別しないでほしい。たとえ自分も苦しく、助けるだけのゆとりは持てなかったとしても、人の暮らしを思いやる想像力を失いたくない。そう思います。

ここでは、もっと希望の持てるような明るくて前向きな話題、暮らしに役立つようなことを綴れたら、と思って何度かトライしたのですが、ごめんなさい、力不足で、まとまらない話になりました。
このところ、なぜかしきりに胸に浮かぶ詩があります。茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」。あまりに有名な詩ですから、ごく一部だけ引用します。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
(中略)
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
 
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

たとえままならない状況下でも、雑誌をつくり、受け止めてくれる人がいる、それはなんて幸せなことだろうと感じます。『暮しの手帖』はそもそも、終戦から間もないまだ貧しい時代に、人びとが新しい暮らしの価値観を模索するなかに生まれた雑誌です。弱い立場から懸命に声を上げて、ささやかだけれど、かけがえのない暮らしのために知恵と工夫を紡いでいく。そんな自分たちの出自を忘れずにやっていけたらと思います。
悩みや苦しみは深くても、そこから何かをつかめることを信じて。どうか、心身すこやかにお過ごしください。

『暮しの手帖』編集長 北川史織

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校了を目前とした4月下旬頃、同僚の上野さんから届いた、手づくりのガーゼマスク。つけると気持ちが明るくなります。

心の垣根をなくしたら

2020年03月24日

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心の垣根をなくしたら
――編集長より、最新号発売のご挨拶

なんだか身体の節々が妙にこわばって、とくに首や肩のあたりが固まっているよう、おかしいな、疲れがとれないな……と感じるようになったのは、2週間ほど前だったでしょうか。
休みの日に、台所でこぽこぽと湯を沸かし、中国茶を淹れてぼうっとすすっていたら、ああ、そうかと気づきました。あのウイルスのせいで、どこか緊張して過ごしているんだ。自分は神経が太いほうだけど、やっぱりちょっと気疲れしているんだな、と。
みなさんはいかがですか?
買い占め、デマ、いろんな差別。目に見えないウイルスの不安が忍び寄るとともに、人のいやな面があれこれ目につくようになった気がします。もしかしたら、人ってあんがい繊細で、弱くて、ときに不安に流されてしまうところがあるのかもしれません。
けれども、どんなときでも、まずは物事を自分の胸に引き寄せて判断したい。情報に踊らされず、他者に不寛容にならず、心を平らに、やさしさを忘れることなく暮らしていけたら。
「何をかっこつけたことを」と言われそうですが、こんなときこそ、努めて格好つけて、そう思いたいのです。

心の垣根をなくしたら。
今号の巻頭記事のタイトルであり、表紙に掲げた言葉です。いまの風潮に合わせて考えたわけではありませんが、期せずして、ぴったりの言葉になりました。
大きく深呼吸してまわりを見渡してみれば、私たちの暮らしは、まだまだ「ふつう」が保たれているように思います。ほとんどの日用品が手に入り、ちゃんとごはんが食べられて、ぐっすりと眠りにつける、「ふつう」の有り難さ。
言わずもがな、そんな暮らしは無数の誰かの「働き」によって支えられています。いま、ふだん通りに仕事ができないなど、いろんな理由で苦しい思いを強いられている人たちが、まっとうに報われることを願うばかりです。
今号も、朝ごはん、春野菜、ちいさな刺繍、メイクアップ等々のラインナップで、自慢じゃありませんが、目を惹く派手な企画は何ひとつありません。しかしながら、自分の手で工夫しておいしいものをつくり、しっかり食べて、お洒落心をときめかせて暮らしていけること、それはささやかだけれど、けっこう幸せなことなんじゃないかと、いま思うのです。
どうか、私たち一人ひとりのふつうの日々が、ごく当たり前に、幸せでありますように。背すじをすっと伸ばし、顔をあげて、不安に流されずに、おそれずに歩んでいきましょう。

『暮しの手帖』編集長 北川史織

「オイスターソース」が手づくりできるって、ご存知でしょうか

2020年03月13日

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●「オイスターソース」が手づくりできるって、ご存知でしょうか
【書籍 『手づくり調味料のある暮らし』が発売になります】

『暮しの手帖』4世紀95号~5世紀1号で連載し、好評をいただいた「うちで作れる世界の調味料」が書籍になります。
新たに17種類の調味料を加え、ボリュームは倍以上に!
全28種の調味料と、その調味料を使った料理レシピ47点を掲載した充実の1冊です。

この本に掲載する28種類の調味料のリストです。

豆板醤、XO醤、オイスターソース&カキの油漬け、辣油、トウチ&豆みそ、甜麺醤、コチュジャン、魚醤&プラホック、トマトソース&トマトケチャップ、ウスターソース&中濃ソース、青柚子こしょう&黄柚子こしょう、梅酢&梅干し、しょう油、米みそ、マヨネーズ、ポン酢しょう油、フレンチドレッシング、トルコ風ヨーグルトソース、サンバル、アリッサ、シトロンコンフィ

「市販品を買うもの」だと思っている調味料が、多くありませんか?
実は私も、料理研究家の荻野恭子先生にご指導いただくまで、
「オイスターソース」が手づくりできるだなんて、想像したこともありませんでした。
それに、白状してしまえば、「手づくりできる」と知ったところで、
「いやあ、私なんか毎日の食事づくりだけでも、てんてこ舞いだし、そのうえ調味料を手づくりだなんて、とてもとても……」とすら思っていたんです。

でも、先生のレシピの「オイスターソース&カキの油漬け」と、
これを使った「カキの炊き込みご飯」「カキのスープ」を食べたら、
「もう、そんな考えは即、捨てます……!!」というくらい、驚いてしまいました。
とにかく、お、おいしい……!!すごく、すごく、おいしい!!!
これまで食べていた「オイスターソース」とはまったくの別物です。
(というか、これまで食べていたものは何だったんだ……)
この味を知ったら、もう元には戻れない……。
市販品とはまったく異なるフレッシュな香りで、液体はサラリとしています。
雑味がまったくなくて、さわやかなうま味だけがストレートに感じられます。
そして、これがたったの50分で出来上がるなんて……。

この想像以上のおいしさと手軽さを、ぜひ、みなさんにも知っていただけたらうれしいです。
3月18日頃から、順次、書店に並びます。
どうぞ店頭でお手に取って、ご覧ください。(担当:長谷川)

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新編集長からのご挨拶

2020年01月24日

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前列右から小林、長谷川、平田、北川、高野、佐々木、田村、中村
後列右から井田、菅原、上野、村上、圓田、久我、宇津木、空地

はじめまして。今号から編集長となりました、北川史織と申します。
この場をお借りして、いったい何をお伝えしたらいいものか、書いては消し、消しては書きをくり返しましたが、もうそろそろ時間切れ、まずは自己紹介をさせてください。
私は『暮しの手帖』編集部に入って9年4カ月、これまで副編集長を2年半ばかり務めてきました。「この雑誌をつくりたいなあ」と入社を志したのは、ただひとつ、表紙をめくるとある「これは あなたの手帖です」から始まる言葉に惹かれたからなのです。正直、この言葉を書いた初代編集長の花森安治のことも、雑誌が持つ歴史についても、ほとんど何も知りませんでした。おそろしいですね。

転機はおそらく、連続テレビ小説『とと姉ちゃん』が放映された4年ほど前に、この雑誌の歴史を振り返った別冊をつくったことでしょう。1948年の創刊号から1978年の第2世紀52号まで、花森安治が編んだ152冊の『暮しの手帖』は、企画もビジュアルも圧倒的に素晴らしくて、どの頁からも、腹の底から読者にまっすぐに語りかける「地声」が聴こえてきました。
本音を言いながらも、掲げる理想がちゃんとある。真摯だけれど、ときにユーモアたっぷり。そしてまた、読者の投稿頁の、知性と人間味があふれる面白さといったら。雑誌を通して、読者とつながりあう。「これは あなたの手帖です」の意味が、胸にすとんと落ちた気がしました。

「9代目編集長」という重いバトンを手渡されたとき、まず考えたのは、この「地声」のことでした。告白するまでもなく、私は花森安治のような天才編集者では決してなくて、自分を10人束ねたって、とうていかないっこないことはよくわかっています。
けれども、私は『暮しの手帖』が好きだし、この雑誌を愛してくださる人たちが好きだ。もし、私たち編集部員がこの時代を怯まずにしっかりと見つめ、読者と世の中に語りかける「地声」を持ちえるなら、私たちにはまだ、果たせる役割があるんじゃないかな。花森さんが亡くなって42年、世の中には相変わらず怒るべき理不尽がはびこり、私たちの小さくとも大切な「暮らし」は不安におびやかされているのだから。
そう思ったのです。

4号の巻頭企画のタイトルは、じつはなかなか決まりませんでした。
「丁寧な暮らしではなくても」。そんな言葉が胸の奥からすっと浮かび上がってきたのは、たぶん私のなかにずっと、「丁寧な暮らし」というフレーズにたいする懐疑があったからだと思います。
でもどうか、誤解しないでくださいね。私は、「一日一日を丁寧に送ること」を否定したいわけじゃありません。ただ、そうした暮らしぶりの中身は一人ひとり違っているはずなのに、「丁寧な暮らし」というラベルを貼ったとたん、のっぺりと無個性に思えてしまう。「そういうのは、ゆとりのある人だけにできることじゃない?」なんて、やっかみも生まれる。それがどうにもいやだったのです。
この企画で取り上げたのは、長野県の小さな集落で暮らす、写真家の砺波周平さん、志を美さん一家の生きざまです。若い働き手として集落に身を置くことは、ときに面倒な人間関係に揉まれることも。愛する家族はそれぞれが「個人」であり、日々小さないさかいもあるけれど、周平さんはそれらを丸ごとひっくるめて「いとおしい」と言います。
それはなぜ? というところは、ぜひ、記事をお読みになってつかんでいただけたらうれしいです。ただひとつ言えるのは、丁寧であろうとなかろうと、私たちの暮らしに必要なのは、自分なりの「納得」ではないでしょうか。いのちを支える「食」さえも、お金を出せば、ひとつも手を動かさずに賄えてしまう時代です。大きなものに巻かれず、自分の手と知恵をはたらかせて、一生懸命に、正直に、素のままに生きていこう。4号には、そんな思いをこめました。
たいへん長くなって、失礼しました! 私たち編集者自身が、かっこうつけず、等身大でみなさんに語りかけてゆく。そんな「地声」を持つ『暮しの手帖』をつくっていけたらと思います。どうかこれからも、「あなたの手帖」をお支えください。

『暮しの手帖』編集長 北川史織

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暮しの手帖社 今日の編集部