子どもを評価すること、分けること

2022年12月08日

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子どもを評価すること、分けること
(21号「通知表はどうしてあるの」)

皆さんは、通知表を作成・配付していない茅ヶ崎市立香川小学校のことを、ご存じですか? もしかしたら、今これを読みながら、「えっ、通知表ってなくせるの?」と、驚いた方もいらっしゃるかもしれませんね。

私はこの取り組みについて耳にした時、すぐに「いいな」と思いました。けれど、周囲と話してみると、案外と反対意見も多いようでした。
「通知表を励みにがんばっている子もいるのに」「人間にはある程度、競争が必要だと思うよ」「大人になってからも、他人からの評価はついてまわる。慣れておいた方がいいと思う」
友人や知人からそんな声を聞きました。うーん、なるほど。皆さんはどう思われるでしょうか?

9月、香川小学校を訪ねました。学校見学に同行してくださったのは、教育学者の池田賢市さんです。
池田さんには、4世紀88号で「不登校だって大丈夫」という企画を編んだ時に、お話を伺ったことがあります。「子どもにとって、学ぶことは義務ではなく権利である」「学校に行きたい子も、行きたくない子も、安心して学べる環境が保障されるべき」。そう教えていただきました。
その時、雑談の中で、池田さんはこんなことも仰いました。
「『性別』や『容姿』で人の処遇に差をつけたら、『それは差別だ』って、多くの人が言いますね。では、『能力』で待遇差をつけることについては、どうでしょうか? 私は『能力差別』はこの世に最後まで残る差別だと思っているんですよ」

「できる」「できない」と人を評価して、差をつけること。それは世の常で、当然のこと、と飲み込んでいた私にとって、池田さんのその言葉は印象深く、心に残り続けるものとなりました。

この企画では、そんな考えの持ち主・池田さんと、香川小学校の教員の方々とで座談会を組みました。学校教育における「できる」「できない」の線引きと、社会におけるそれはつながっているものに思えます。
同校が通知表をやめるに至った経緯や、学校教育における「評価」の弊害と望ましいあり方、「学力」とは何か、子どもが主体的に学ぶとはどういうことか、などといったことについて、お話ししていただいています。

通知表や評価をめぐっては、多くの教員や保護者が疑問を呈し、よりよいあり方を模索してきた歴史があります。そんな過去のトピックもご紹介しながら、今回の香川小の取り組みの意義について、皆で考えられたらと思います。ぜひ、ご感想をお寄せください。(担当:島崎)


暮しの手帖社 今日の編集部