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「わが家の味」を作る楽しさを教えてくれる2冊です

2023年09月13日

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「わが家の味」を作る楽しさを教えてくれる2冊です
(創刊75周年記念別冊「稲田俊輔さんが語る、『暮しの手帖』の料理」)

1969年発行の『おそうざい十二カ月』と、1972年発行の『おそうざいふう外国料理』は、暮しの手帖社が誇るベストセラーの料理本です。「ずっと持っている」「実家にあった」という方も多いのではないでしょうか。名立たる料理人が教える、毎日のおかずにぴったりの、作りやすくて誠実なレシピは、発行から五十余年が経ついまも多くの方に支持されています。近年では、『おそうざい十二カ月』に収録の「キャベツと豚肉とはるさめのしょう油いため」などが、SNSで「かんたんでおいしい」としばしば話題に上り、若い世代の方たちにも注目されています。

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本号では、この2冊をこよなく愛する料理人の稲田俊輔さんに、その魅力を伺いました。さらに、おすすめの10品を厳選し、レシピを再掲載。いまの時代にいっそう作りやすくアレンジするポイントもご解説いただきました。現代人の暮らしや舌に合う、材料や道具、味つけの工夫など、稲田さんのお話を聞いていると「作りたい欲」が刺激されます。

今回は特別に、稲田さんを編集部のキッチンにお招きして、編集部員と一緒に3品を作っていただきました。実はわたしは、この2冊のレシピで料理をしたことがなかったのですが、実際に作ってみると、「少ない材料と調味料で楽に出来て、とてもおいしい!」と実感。稲田さんは、「載っているレシピが最終目標なのではなく、まずはここからスタートし、調味料を加減するなどして、ご家庭の味を探ってみませんか」と提案します。それはまさに、この2冊でお伝えしているメッセージ。みなさまの「わが家の味」を作るベースとして、これからも末永くご活用いただけましたら幸いです。(担当:平田)

『暮しの手帖』にまつわる20の物語

2023年09月12日

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『暮しの手帖』にまつわる20の物語
(創刊75周年記念別冊「わたしと暮しの手帖」)

小社ホームページやSNSを通じて、「あなたの暮らしを変えた記事、印象に残る記事を教えてください」と呼びかけたのは、今年4月のこと。
わずか3週間ほどの間に、封書やメール、ウェブアンケートでたくさんのご投稿をいただきました。投稿者の年齢は20代から90代までと幅広く、挙げてくださった記事も第1世紀から5世紀まで千差万別。改めて、読者のみなさまと歩んできた75年という歴史の重さに思いをはせました。

この記事では、お寄せいただいた投稿文のなかから、20名の物語をご紹介します。
75年間の記事をできるだけ偏りなく揃えようと、悩みながら厳選したものです。
家族との悲喜こもごもの思い出、作り続けるわが家の味、子育てや仕事の悩み……。それぞれの暮らしに『暮しの手帖』がどんなふうにかかわっていたのか、とりどりの物語をどうぞご覧ください。

余談ですが、じつは「古い雑誌が手元にないので、号数や記事名がわからなくて……」というご投稿も多く見られました。そんな時、年代と記事の内容からおおよその見当をつけて、社内にある400冊以上のバックナンバーをめくり、「これだ!」と見つけたときのうれしさといったら。読者のみなさまの思い出を一緒にたどるように、過去のさまざまな記事に触れることができたのは、私たちにとっても幸せな経験でした。

最後になりましたが、このたびはたくさんのご投稿をありがとうございました。残念ながら採用には至らなかったご投稿も、今後の記事づくりの貴重な資料とさせていただきます。(担当:田村)

無名戦士の墓

2023年08月15日

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敗戦から78年。私たちが、戦争の記憶と向き合う機会を失くさぬように。当事者でなくても、たとえ想像が追いつかなくても、メッセージを受け取った私たちが「語り継ぐ」ことで、何かを変えられるのなら。

『暮しの手帖』初代編集長の花森安治が、夏に足を運んだ場所が「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」でした。花森はその場所を「無名戦士の墓」と題し、文章を綴りました。下記より、その全文をお読みいただけます。

***

無名戦士の墓  文・花森安治(『暮しの手帖』初代編集長)

 

もう町中どこでも、朝から夜中まで、年中ぶつかりあい、ひしめきあい、ごったがえしているこの東京の、しかも、そのまっただなかに、ポカッとこんなところがあるというのは、なんだかウソみたいな気がする。
一万五千平方メートル(四千七百坪)のだだっぴろい敷地は、ざっと見わたしたところ、人っ子ひとり見えない。敷きつめた砂利の一つ一つまでが、きちんと真夏の午後の太陽の下でしいんとしずまりかえっていて、いちめんのセミしぐれである。どこもかしこも、やけに明るいのである。そして、涼しい風が吹いていた。無名戦士の墓地である。

 

……兵隊たちは、ひとりのこらず、小判形のシンチュウの小さい札を持たされていた。両はしの穴にヒモを通して、肩からじかにはだかにかけていた。札には部隊記号とその兵隊の番号が乱暴にうちこんであった。
フロに入るときでも、どんなときでも、はずしてはならぬと命令されていた。野戦ではフロなどめったに入れぬから、白いもめんのヒモはすぐにどすぐろくよれよれになり、うちこまれた数字にはアカとアブラがこびりついていた。
戦死したとき、身元を確認するためのもので、「認識票」というのが正しい呼び名だったが、兵隊たちは「靖国神社のキップ」と言っていた。

 

……この墓地は、皇居のお堀に向きあっていて、英国大使館のまえの青葉通り、都電なら三番町の停留所から、だらだらと千鳥ケ淵の方へ下ったところにある。小さな札が出ているが、無名戦士の墓とは書いてない。「千鳥ケ淵戦没者墓苑」である。ふらっとやってきた高校生が、事務所で「おじさん、ここはなんの古戦場ですか」と聞いたという。
歩きにくい砂利道を上ってゆくと、横に長い前屋があり、その柱のあいだから向こうに六角堂がみえる。美しいつり合いである。六角堂の中央に、アジアの各地から集めた石で焼いた陶棺がすえてある。そばの台に小さい草花の束がいくつかおかれて、「一束十円」という文字が添えられている。
ここへくる人は、一日に百人をこえることはあまりない。しかも、この六角堂におまいりするのは、そのうちの一割あるかなしかだという。

 

……兵隊たちは、歩きつかれてくると、食べものの話と、家に帰る話をした。ここから日本へ帰るにはどうしたらよいかを、大まじめで研究した。いつもぶつかるのは海であった。陸地はなんとかたどってゆくことにしたが、朝鮮海峡までくると、それまで活気のあった会話が、いつでもポツンと切れた。だまりこんで疲れた足をひきずりながら、ああ帰りたいな、とおもった。
そんなとき、ひょっとハダの認識票が気になることがあった。「靖国神社直行」、日本へ帰るいちばんの早道にはちがいなかった。

 

……この無名戦士の墓を作ることは、昭和二十八年の閣議できまっていた。しかし、工事がはじまったのはおととしの三十三年、そして去年の春、やっとのおもいで出来上がった。工費五千七百万円、建物は谷口吉郎氏、庭は田村剛氏の設計である。
出来上がった日には、天皇と皇后がおまいりになった。大臣も参列したろう。しかし、それっきりであった。
外国には大てい無名戦士の墓があって、各国の元首や首相級の人物がその国を訪れると、必ずおまいりするのが儀礼である。まえの首相岸信介氏が外遊したときも、もちろんそうしてきたが、出かけるまえ、日本の無名戦士の墓にまいってくれとたのんだら、忙しいからと花束だけをとどけてよこした。
きまったお祭りの日があるわけでもない。憲法記念日とおなじで、作ることは作ったが、作りっぱなしである。

 

……古風なことを言うようだが、人間には、やはり、その人そのひとに持って生まれた星というものがあるのだろうか。
兵隊は、みんな家に帰りたかった。そして帰ってきた者もある。帰ってこなかった者もある。
五年ほどまえの、押しつまった年の暮れ、千葉の稲毛にあった復員局の分室を訪れたことがある。荒れはてた構内の枯れ草のなかに、もとの部隊の弾薬庫があって、うすぐらい中に、天井までぎっしり遺骨がつまっていた。灯明に火が入ると、どの箱にも「無名」と書いてあった。全部で二千五百柱だと聞かされた。
みんな名前があったにちがいない。それが役所の戸籍も焼け、連隊区の兵籍簿もなくなってしまったのだろう。そして一目でいいから会いたかった家族も、死んでしまったのかもしれない。
シンチュウの認識票など、なんの役にも立ちはしなかったのだ。この兵隊たちは、靖国神社にさえ入れてもらえないのだ。名ナシノミコトでは、まつることができないのだそうだ。

 

……そのために、この無名戦士の墓を作ることになったのだが、そうときまってからも、なかなかできなかったのには、いろいろ裏があったということである。
一つは靖国神社の反対だったという。戦後、ここも単なる一「宗教法人」になって、国からは一銭も出してはならぬことになった。それなのに、無名戦士の墓に何千万という金を出すとは何事であるか、ということだったらしい。
無名戦士の墓ができ上がると、外国の例のように、国賓がそちらへおまいりするようになるだろう、それではこっちはどうなるんだ、ということもあったのかもしれない。
政府がそれで弱腰になって、作ることは作ったが、あとは知らぬ顔をしていることになっているのかもしれない。

 

……名前がわからないから、生きていたとき、どんな暮しをしていたひとたちか、わかるはずはない。
わかることは、大部分が、たった一枚の赤紙で、家族と引きさかれてしまって、それっきり死んでしまった兵隊たちだということである。おなじ兵隊でも、えらい将校なら、死んでも名前がわからぬことはあるまい。屑ラシャの黄色い星が、ひとつかふたつか三つ、つまりただの兵隊だったにちがいない。ひまさえあると、家に帰ることばかり考えていた兵隊たちのうちのだれかなのだ。

 

……その人たちは帰らなかった。おなじ兵隊のひとり、ぼくは帰ってきて、それから十五年も生きて、いまこの人っ子ひとりいない妙に明るい墓地に立っている。
そして、人には持って生まれた星があるのかと古風なことを考えている。こうして生きて帰った者もあるし、死んで帰ってきた者もいる。死んで靖国神社にまつられているものもあれば、名もわからず弾薬庫のすみにおかれ、やっと墓が出来ても、国も知らん顔、だれもかえりみようとしない者もある。(こんな国ってあるものか)
この墓には、どういうわけか一字も文字が書かれていない。しかし「祖国のために勇敢に戦って死んだ無名の人たちここに眠る」といったふうの言葉だったら、むしろ、なんにもない、このままの方がよい。
どんなに帰りたかったろう。ぼくならそう書いてあげたい。あすは、十五年目の八月十五日である。

 

***

初出:『朝日新聞』日曜版「東京だより」(朝日新聞社・1960年8月)

収録:『一銭五厘の旗』(1971年10月刊)
   『花森安治選集 第3巻』(2020年11月刊)
 

ケヤキを見上げ、平和の尊さを想う

2023年08月09日

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ケヤキを見上げ、平和の尊さを想う
(25号「表参道・山の手大空襲を語り継ぐ」)

学生のころ、美しくて自由な空気を感じる表参道にひかれて、この街でアルバイトをし、毎日のように通っていました。初めて就職した会社も表参道沿いにあり、長い時間を過ごした私は、この街に育ててもらったように感じています。

ファッションやアートなど文化の発信地でもあり、多くの方にとって楽しく華やかな街のイメージ。
そんな、ケヤキ並木の美しい表参道が、1945年5月、B29による大空襲によって火の海となったことをご存じでしょうか。
この空襲は「山の手大空襲」と呼ばれました。多くの尊い命が失われ、201本あったケヤキは13本を残してすべて焼失したといわれています。
いま、1本1本のケヤキを見ながら通りを歩くと、表参道ヒルズの近くや原宿方面に、幹の太い大木がいくつかあることに気づくかと思います。それは、空襲で焼け残り、歴史を見てきた貴重なケヤキなのです。

二度と戦争を起こしてはいけないということ、そして平和の尊さについて、改めて読者の方と一緒に考えたいと願い、当時この地に住んでおられた3人の方と、老舗の「山陽堂書店」店主にお話を伺いました。つらい思いを乗り越えて語られたことばをここに残します。記事を読んでくださったら、あなたの気持ち、考えを、どうか周りの人に話してみてください。胸のつぶれるような惨事を風化させないためには、まずは知ることから始まると思うのです。(担当:佐藤)

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今回の記事のきっかけになった本。山陽堂書店の遠山秀子さんに教えていただきました。
私自身、表参道の空襲について知人から聞いたことはありましたが、これほどの惨事があったことに驚き、涙なくしては読めませんでした。一人でも多くの方に読んでいただきたいと思います。
『表参道が燃えた日 ―山の手大空襲の体験記―[増補版]』
『続 表参道が燃えた日 ―山の手大空襲の体験記―』
(ともに、「表参道が燃えた日」編集委員会編集・刊行)
こちらの2冊は一般書店では流通していませんが、山陽堂書店(03-3401-1309)にてご注文いただけます。

植物をじょうずに育てるには

2023年08月08日

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植物をじょうずに育てるには
(25号「黒田益朗さんのベランダ庭園」)

我が家は賃貸マンション。ベランダのドアを開けると、少し憂鬱な気分になります。なぜなら、枯らしてしまった観葉植物の残骸や空いた植木鉢が、いくつも転がっているからです。緑は好きなのに、なぜかうまく育てられない。はっと気づくと植物の元気がなくなっており、手をこまねいているうちに、手遅れになってしまう。こんな失敗を山ほどしてきました。みなさんはいかがでしょうか?

デザイナーの黒田益朗(くろだ・ますお)さんは、類まれなるグリーン・フィンガーズの持ち主。自宅マンションのベランダにいくつもの鉢植えを配置して、それは見事な庭園を作り上げています。「ベランダでここまでできるんだ!」黒田さんの庭園を見れば、誰もがそう思うはず。

そんな黒田さんに、植物への思いと、向き合い方を伺いました。植物を育てるうえで必要なものは、難しい知識や特別な道具などではなかったのだ……。お話には、そんな発見が満ちていました。美しい庭園の写真もたっぷりと掲載、図解もしています。ぜひ、庭作りの参考になさってください。(担当:島崎)

食べて体をととのえる

2023年08月07日

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食べて体をととのえる
(25号「夏の養生ごはんの知恵」)

夏、真っ盛り。今年は梅雨明け前から猛暑日が続いていましたから、すでにぐったり……という方も多いのではないでしょうか。
暑い日が続くと、食欲が出ない、疲れが取れない、冷房で体が冷えるなど、さまざまな不調が起こりやすくなります。そんな不調を、日々の食事で少しでもやわらげ、体をととのえることができたらと思い、この記事をつくりました。

ご指導いただいたのは、昔ながらの食養生の知恵と薬膳の知識を料理教室などで教えている、料理家の山田奈美さん。
山田さんがふだんの暮らしで実践していることは、どれも気軽にできることばかりです。
例えば、「旬の野菜を食べる」「野菜をすりおろして消化をよくする」など。
そうしたコツも取り入れながら、炒めものから蒸し料理、煮ものまで、不調ごとにおすすめの食材を使った料理を紹介しています。

“夏暑く、冬寒い”盆地育ちで、比較的暑さに強いつもりの私も、ここ数日体がどんより重く、頭がぼーっとしていたため、誌面の中から「なすとズッキーニのマリネ」を作りました。酢には食欲増進効果があり、なすとズッキーニは体の熱を取る食材。すっきり味のマリネはどんな献立にも合いますし、体がシャキッとしますよ。
不調の種類からおすすめの料理を探してもよし、パラパラめくって気になる料理を試してもよし。この夏の食事づくりに、ぜひお役立てください。(担当:田村)

家でも外でも。夏のお守り

2023年08月04日

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家でも外でも。夏のお守り
(25号「かたわらにマーガレット」)

連日、ものすごい暑さですね。みなさま、体調を崩されていませんか? この時季は、外の暑さとは対照的に、室内では冷房が効いていて、体が冷えてしまいがち。そんな時に活躍するのが、今号でご紹介する「マーガレット」です。
今回指導してくださったテラニシケイコさんは、このボレロに似た服「マーガレット」を長年改良を重ねながら作り続けてきました。ストールのように羽織ることもできますし、首に巻いたり、いろいろな着こなしが楽しめるのもうれしいところ。年齢を問わず、どなたも好んで着てくださるそうです。
わたしも作ってみたところ、すべて直線裁ちで、裁つパーツは3つ、3時間ほどで完成する気軽さにも魅力を感じました。「カディ」という、手紡ぎで手織りのインドのコットンで作ってみたのですが、とっても軽くてやわらかく、体にフィットします。
誌面では、モデルの市川実和子さんが、4種の布で作ったものをすてきに着こなしてくださいました。色や素材など、布選びの参考にしてみてください。
冷房の冷え対策の他に、日よけにもなるので、家にいるときも、出かけるときも、お守りのように身近に置いています。素材を変えて作ると秋冬にも活躍するので、ぜひお好みの布で作ってみてくださいね。(担当:平田)

おいしいから続いて、台所もすっきり

2023年08月03日

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おいしいから続いて、台所もすっきり
(25号「始末料理の手帖」)

食材の捨ててしまいがちな部分や、半端な余りを使った料理、と聞くと、節約料理のようでなんだかわびしい……と感じるでしょうか。本企画では、そんな食材をじょうずにいただく、いわば「始末の料理」をご紹介します。
料理家は仕事で使った食材が余りがちですが、無理なく食べきるにはどんな実践があるのでしょう。本田明子さん、飛田和緒さん、按田優子さんに、日ごろの工夫や料理レシピを教えていただきました。

みなさん一様におっしゃっていたのは、「始末(料理)と思って作っていない」ということ。おいしくて、あると嬉しいし、作るのも楽しい、そんな料理だからと話します。

一部をご紹介すると、本田さんには大根やにんじんの皮を使った「きんぴら」、かぶの葉の「煮びたし」、かんきつ類の皮1~2コ分で作れる「マーマレード」。
飛田さんには長ねぎの青い部分を使った「ねぎみそ」、卵白を使った「ホワイトオムレツ」、かたくなったパンを使った「トマト粥」。
按田さんには、余り野菜の「酢漬け」とその展開料理を2品、そしてどんな野菜を入れてもいいという「スープ」を教わりました。

試作してみると、これは確かに進んで作りたくなる、納得のおいしさです。
また気持ちがよかったのが、試作のために買い求めた丸ごとの野菜を、ほとんど食べきれたこと。ひとり暮らしでは傷ませてしまうだろうと、野菜を丸ごと買う機会が少なかったのですが、食べきれると分かれば自信がつきますし、廃棄も減って経済的です。

始末料理の習慣は、無理をしても続かないもの。まずは「自分に合いそうだな」と思うものからお試しください。おいしくて、続けられそうなら続けて、自分にあったやり方を探ってみていただけたらと思います。(担当:佐々木)

まるでキャンバスを彩るように

2023年08月02日

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まるでキャンバスを彩るように
(25号「画家たちの花の庭」)

共に画家として活躍する佐藤翠(みどり)さんと守山友一朗さんの東京郊外のご自宅を訪ねたのは、5月上旬のこと。高台の一軒家には庭があり、ビオラやチューリップ、ヒューケラやクレマチス、バラなどが鮮やかな花を咲かせていました。小さな庭ながら色彩の美しさが強く印象に残ったのは、まるでキャンバスを彩るかのように、お二人が草花を植えているからなのでしょう。

窓辺には庭で摘んだ花が飾られ、天気がいい日は筆を置いて、庭でお茶を楽しむ。そんな日常からは、ささやかなことにも美しさと豊かさを見出すお二人の眼差しが感じられます。

園芸の知識はほとんどなかったけれど、いまや、「自分たちの制作にとって、庭の存在がとても大切」だと話す、佐藤さんと守山さん。そんなお二人の創作と庭とのかかわりが感じられる暮らしを、川島小鳥さんの写真とともにお届けします。(担当:井田)

涼しい部屋で、読書はいかが?

2023年08月01日

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涼しい部屋で、読書はいかが?
(25号「いま読みたい海外文学 柴田元幸さん×斎藤真理子さん」)

突然ですが、みなさん、本は読んでいますか? 最後に、昼も夜もなく夢中で読書をしたのは、いつでしょうか? 大人になるとなかなか時間を取れず、本を読んでも仕事の関係のものばかり。そんな人は少なくないのではないでしょうか(情けないかな、かく言う私もそのひとり……)。

本企画は、日本における翻訳英米文学の第一人者・柴田元幸さんと、日韓でベストセラーとなった『82年生まれ、キム・ジヨン』ほか、数多くの韓国文学の翻訳を手掛ける斎藤真理子さんにご対談いただき、「いま読みたい」海外の小説を教わる企画。
コロナ禍や格差など現代の世相について考えさせられる作品、戦後生まれの作家だからこそ書けた戦争小説、いまの視点で読むと新鮮な感慨をもたらしてくれる古典作品などなど。ロシア文学からチベット文学まで、選りすぐりの11作品について語っていただきました。

本を閉じ、顔を上げると、世界がなんだか違って見える。この夏、そんなすてきな読書体験をどうぞ。(担当:島崎)

「簡単でおいしい」と驚きます

2023年07月31日

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「簡単でおいしい」と驚きます
(25号「米粉って便利です」)

このところ、米粉の製品をよく目にするようになりました。
スーパーでも米粉製のの餃子の皮などを販売していたり、米粉の需要が高まっていることを感じます。
小麦アレルギーのために代替で使う方も多いと思いますが、「米粉がおいしいから」という理由で、どんな方も日常で使えたらと思い、この企画を考えました。

お菓子やパン作りにはコツが必要な米粉も、料理ならもっと気軽に使えるかもしれない。料理研究家・かのうかおりさんにご相談したところ、「うちでは毎日米粉を使っていて、米粉なしの生活はもう考えられません」とのお返事をいただきました。
3人のお子さんを育てているかのうさんは、15年ほど前、子どもの食物アレルギーから米粉と向き合う日々が始まりました。普段食べられない揚げものや粉ものを食べさせてあげたいと、失敗を繰り返しながら作り続けてきたそうです。その経験から得た「かのうさんの米粉メモ」は必見です。

今回は、天ぷらや春巻き、チヂミにスープなど、米粉を使った家庭料理7品を教えていただきました。中でもおすすめなのは、米粉と牛乳で作るチキングラタン。チーズ好きの子どもたちが、こんがりパリパリのチーズの部分の取り合いになることから、オーブンの天板にそのまま広くうすく作るようになったという大胆な一品で、大家族の方や、パーティーなどにもおすすめです。さっぱり軽く、ペロリと食べられますよ。

米粉の特長として、生地はもっちり食感に。汁もののトロミづにけも、ダマになりにくく簡単に使えます。片栗粉よりやさしいトロミで、ほっとする味わいです。

どれか1品をを一度作っていただくと、きっと「簡単でおいしい」を実感していただけると思います。米粉を身近なものとして、普段使いしていただくきっかけになればうれしいです。(担当:小林)

小さなはぎれが、道具に生まれ変わります

2023年07月28日

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小さなはぎれが、道具に生まれ変わります
(25号「ひとつだけの鍋つかみ」)

友人の家で、晩ごはんをごちそうになった時のことです。オーブンから天板を取り出すのに彼女が使っていた鍋つかみに、思わず目がくぎづけになりました。

使いこまれて、風合いが出た鍋つかみ。「omoto」という屋号で活動している鈴木智子さんが作ったものだということ、はぎれを縫い合わせているため、同じものはふたつとないことなどを聞き、作り方を教えていただきたいと思ったことが、この企画の始まりでした。

取材で訪れた鈴木さんのアトリエには、カーブがついていたり、三角だったり、大小さまざまなはぎれが入った箱がたくさんありました。その中からはぎれを一枚、また一枚と手に取り、縫い合わせていく様子は、まるでコラージュを施しているかのよう。

後日、私も棚の奥にしまいこんでいたはぎれを取り出し、鍋つかみを作ってみました。もう何にも使えないかなと感じていた小さな小さなはぎれでさえ材料の一部となり、それが再び道具に生まれ変わる。それは、新しい布で何かを作るのとはまた異なる喜びでした。
もしも、あなたの家にもはぎれがあったなら、ほかにはない、ひとつだけの鍋つかみを作ってみませんか。(担当:井田)


暮しの手帖社 今日の編集部